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檀一雄の経歴について

檀一雄のWikipedia「来歴」に次の記述があります。

「1937年(昭和12年)、日中戦争の勃発により召集を受け久留米独立山砲兵第3連隊に入隊、大陸へ出征。 1940年(昭和15年)に軍務終了なるも帰国せず、そのまま満州を旅する。」
これは事実ですか?

なお、
・全集巻末の自筆年譜など、ほとんどの年譜は「昭和15年(1940)12月に除隊し、 福岡の実家に帰って、直ちに満州(当時)へ出発した。」です。
・「昭和15年除隊」は誤りで、事実は「昭和14年(1939)12月に除隊」とする説が ある。(この時の軍隊生活は、3年余ではなく2年余ということになる。)
・この期間(昭和12年~15年)に大陸へ出征したという資料は見当たらない。
 (あれば、教えてください)

投稿日時 - 2019-08-19 12:03:12

QNo.9647197

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回答(2)

ANo.2

38taijuさん、こんばんは。
「新潮日本文学アルバム」(30頁)に「檀一雄が軍隊生活を送ったのは、昭和12年8月1日から15年12月1日までの3年4か月である。その間、ついに中国の戦場に出陣することなく、教育要員として連隊に留まっていた。」とあります。
檀一雄の自伝的小説「青春放浪」にも、この間に大陸の戦場に赴いたという記述はなく、ずっと久留米での軍務だったのではないでしょうか。
私もそのほうが理解できます。この部隊は中国戦線で相当な精鋭部隊でしたから、戦死者も半端ではないと思いました。

投稿日時 - 2019-08-26 19:19:55

補足

部隊の活動を基にしたご意見をありがとうございました。
人の運命、人生は、軍隊・戦争には否応なく左右される・・
この理不尽に人はどのように対応したか、現実・事実の重さを思っています。

投稿日時 - 2019-08-27 10:03:57

ANo.1

38taijuさん、こんばんは。

久留米独立山砲兵第3連隊という部隊は第12師団や第18師団に付随する部隊です。主に18師団に付随しており、14年の前半までは直接戦闘をしているのです。おそらく、ほとぼりの冷めた15年12月まで兵役についてたと思います。この部隊はのちにマレー侵攻部隊にも選ばれています。詳細は下記のURLを参照ください。

21軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC21%E8%BB%8D_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

第18師団
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC18%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

第10軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC10%E8%BB%8D_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

投稿日時 - 2019-08-25 23:02:56

補足

ご回答をありがとうございます。
「新潮日本文学アルバム」(30頁)に「檀一雄が軍隊生活を送ったのは、昭和12年8月1日から15年12月1日までの3年4か月である。その間、ついに中国の戦場に出陣することなく、教育要員として連隊に留まっていた。」とあります。
檀一雄の自伝的小説「青春放浪」にも、この間に大陸の戦場に赴いたという記述はなく、ずっと久留米での軍務だったのではないでしょうか。

投稿日時 - 2019-08-26 13:34:32

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