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徳川宗尹が生まれた時点での、吉宗の将軍権力について

徳川吉宗の四男の徳川宗尹が生まれた享保6年閏7月16日(1721年9月7日)の時点では、既に、徳川吉宗の将軍権力は絶対的に盤石なものになっていたのでしょうか?

徳川宗尹
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E5%B0%B9

徳川吉宗の将軍権力は、四男の徳川宗尹が生まれた享保6年閏7月16日(1721年9月7日)の時点で、既に絶対的に盤石なものになっていたのかどうかを教えてください。

投稿日時 - 2019-05-03 13:08:38

QNo.9613121

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

https://bochan.exblog.jp/1824440/
こちらが参考になるのではないでしょうか?

吉宗が紀州から連れてきた側近が老中の権勢を圧倒していたとなると、吉宗はその時点ですでに磐石と思われます。

投稿日時 - 2019-05-05 16:56:10

お礼

御回答ありがとうございました。


https://bochan.exblog.jp/1824440/

(↑)このページの、

儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)は1719年正月4日付けの書簡「兼山秘策」で、彼ら「御用取次」の勢いが老中を上回る様子を記している。
幕府の正史である「徳川実紀」も彼らの権勢が老中や若年寄を上回っており、政策決定に際して、幕府の役人たちがまず彼ら「御用取次」に相談した事を記している。

(↑)この部分ですね。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2019-05-05 17:58:00

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回答(2)

盤石なものになっていましたね

投稿日時 - 2019-05-03 13:54:50

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