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ドリフのコントは初期と末期には変化がある?

昭和時代に人気を得た ドリフターズ
初期の頃は元々バンドであったので音楽コントや
クレージキャッツ等の笑いを受け継いだものも
多かったと思います。
荒井注氏が脱退し、志村けん氏が加入すると、
「より狂気じみた笑いを追求する」方向に変わっていったと思います。

そこで ご存知の方が居られたら質問させて戴きます。
(1)「8時だよ全員集合」(TBS)の
コントを初期はいかりや長介氏が
末期は志村けん氏がネタを考えていたのでしょうか?
(2)「ドリフ大爆笑」(CX)で
末期(昭和60年以降)は
いかりや長介氏と仲本工事氏
加藤茶氏と志村けん氏に別れてのコントが中心であった。
いかりや 仲本のコントは初期のドリフのコントに近いものがあり、
加藤 志村のコントは志村の目指す笑いの形だった様に思います
(私の解釈ですが)
この頃(1991年 平成3年頃)とある雑誌で作詞家秋元康氏との対談で
志村氏は「いかりやさんとはもう3年間あっていない」といっていたと
思いますが、笑いの違いで確執が生まれたのでしょうか?

このあたりを詳しくお知りの方が居られたらご回答お願い致します

投稿日時 - 2018-08-18 06:11:18

QNo.9528547

暇なときに回答ください

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回答(2)

ANo.2

1 はその通りでしょう。

投稿日時 - 2018-08-18 21:01:47

ANo.1

1
詳細は知りませんが、おそらくこの時代なら台本はプロの放送作家が書いていたと思いますよ。今の音楽はシンガーソングライターが多いですが、昭和の頃は歌手は歌う専門で、曲は作曲家が、詞は作詞家が書いていましたよね。
昭和の頃のお笑いも、ベテランの場合は専門のネタを書く作家さんが作っていました。あのやすきよ漫才の多くはプロの作家さんによるものですよ。
何本あったか覚えてはいませんが、全員集合ではネタはローテーションをしていました。だからずーっと見ていると「前に見たことがあるネタだ」となります。もちろんそれはそれで面白いわけですが、昭和末期にフジテレビであの「俺たちひょうきん族」が始まりますと、以前に見たことがあるネタだとチャンネルを8に合わせるようになりまして、やがてみんなひょうきん族に移っていくことになったのです。

2
長さんと他のメンバーとの確執は、志村さんはよくあちこちで言っていますが要するに「儲けたお金をずいぶん自分の懐に入れた」ということだったそうです。
人気メンバーだった志村さんや加藤さんからすれば、自分たちがいくら頑張って働いてもリーダーという理由で長さんがお金を持っていくのは面白いことではないですよね。
長さんは長さんなりの言い分はあったと思います。荒井注さんがドリフを抜けた後、新メンバーの候補は志村さんの他にすわ親治さんとサザンオールスターズの桑田佳祐さんがあがっていました。このうち一番可能性が低かったのは実は志村さんだったそうですよ。加藤さんの推薦があったから志村さんに決まったんだっけかな(うろ覚え)?サザンの桑田さんも候補だったというのは有名ですが面白い話ですよね。すわ親治さんは後にザ・ニュースペーパーという社会風刺のコント集団に参加します。こっちのイメージが強いでしょうね。台本をきちんとこなす古風な正統派芸人ですね。
志村さんはいわゆるドリフターズの「バンドのボーヤ(おしゃれな言い方をするとローディ)」というやつで、当初はなかなか人気が出なくて苦労されたそうです。長さんからすれば「ボーヤだったお前を我慢して人気芸人に育ててやった」という思いはあったかなあとは思います。

投稿日時 - 2018-08-18 12:46:57

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