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締切り済みの質問

"目には目を歯には歯を" はなぜいけないのか

罪について質問です。

なぜ、"目には目を歯には歯を" が人道的にいけないのか。その理由、根拠を教えてください。
"倫理だから、人道から外れているから" 等の人により時世により多様に変化する即時的なコメントは回答になっていないので否定いたします。

目を焼かれたら、被害者が同じく目を焼く。
体を切り刻まれたら、同じ環境で同じ現象を再現できる機巧によって処理される。
遺族による報復は認めず、飽くまでも被害者の意思(文言)により、処理が決定し、実行されるその世をどう考える?

投稿日時 - 2018-04-08 22:53:12

QNo.9486520

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回答(10)

専門でないけど,オレは下記のようなことかと思いました.
人=肉体なら「目には目を」が正しい.
「目には目を」でない今の刑法は,人の主体は肉体でなく,肉体をコントロールするものという考えに基づいてると思う.
そして前提に,誰もが加害者と同じ肉体で,同じ境遇で,同じ環境で,同じ状況に遭遇したら,同じことをするだろうという考えがあると思う.
裁判官の心理を考えると,もし裁判官が殺人犯を目には目をで殺していって,誰も殺人犯の役を演じる人がいなくなったら,いずれは裁判官の役を演じていた人が殺人犯の役を演じることになるだろう.裁判官は(それはイヤ!)と思うだろう.
問題があったのは,事件になるほど正しい選択ができなかった加害者の社会に適応できなかったこと,あるいは加害者が事件を起こすほど強くなった感情をうまく処理できなかったこと.また加害者を取りまく社会など.
そうであれば社会側は加害者を社会に適応するよう矯正して,また似たような加害者が出現しないような社会にすればよい.

投稿日時 - 2018-04-23 17:27:31

ANo.9

私は「改善」というものを、多く体験してきました。日本的経営というものの一つなのですが「新幹線」の技術であったり、今では病院機能評価と関係していたり、さまざまな側面があります。そのような、いろいろな面で嫌な事もあります。「目には目を、歯には歯を」と言うと、その場の状況で、即座に反撃する様子が、イメージとして浮かびます。私が体験してきたのは、いまのマスコミのように日本を嫌い、欧米のISOの方が良いと言う勢力がありました。あるISOコンサルタントは「日本的経営を駆逐して、滅ぼす」と真面目に言っていましたし、その潮流に乗る人々もいました。コンプライアンスもその流れです。でも北米病院設備学会では、改善を取り込み、継続的改善CQIと称して「病院機能評価基準」として完成させて日本に逆輸入させています。https://www.ghc-j.com/science/cqi.html

最初に戻りますけれども、「目には目を、歯には歯を」で、その場の状況で、即座に反撃するのではなく、どのようなバックグラウンドで、事件が起きているかを、良く検討するために、即座に反撃するのは、すこし、止めて置いた方が良い場合が多いということではないでしょうか?

投稿日時 - 2018-04-16 20:42:17

ANo.8

人道的にイケナイのではありません。

法的にイケナイのです。

刑事法は公法です。
つまり、刑事法の目的は、報復ではなく、
社会秩序の維持にあります。

従って、社会秩序が維持できる範囲で刑罰を
科せば、それで良い、ということに
なるからです。

同害報復をしなくても、秩序が維持できると
立法者が判断した訳です。

その立法者は、国民が選んだ議員です。

投稿日時 - 2018-04-09 20:50:01

ANo.7

世界中の人が勘違いしているのですが、ハンムラビ法典の本当に偉大なところは「人類史上で初めて、法によって平等の根拠が示された」ということにあるのです。

中国あたりでは法律の適用根拠が今でも曖昧で、同じ罪を犯しても死刑になる人がいる一方で、懲役何年という軽い罪になる人もいます。「どのくらいの罪を犯せば、どのくらいの刑罰がくだるのか」の根拠が不明なんですね。
それに比べると、ハンムラビ法典は「目を失ったんだからそれと平等に目を失うべきだ。歯を失ったなら、平等に歯を失うべきだ」とはっきりと「損失と補填は等しくあるべき」と明文化されたのです。目を失ったら命を奪うのはやりすぎ、というガイドラインを示したのです。

それをいつの間にやら「復讐オーケーの律法だ」と解釈されるようになったのです。一知半解とはまさにこのことでございましょう。
だからハンムラビ法典の「目には目を歯には歯を」の現代語訳としては「百万円盗んだら百万円の弁償、車を壊したら同額の車で弁償」が正しいのです。

そのうえで、世間一般が思っているほうの「目には目を歯には歯を」の何がよろしくないのかというと、復讐を公認することになれば、際限がないからです。
それは、今のイスラムテロリストと欧米諸国の戦争を見れば分かるはずですよ。イスラムテロリストは、キリスト教国の欧米諸国のイスラム教への弾圧への復讐としてテロを行い、どこかでテロが発生すると欧米諸国はその復讐としてテロリストがいそうなところを爆撃します。すると巻き込まれて無辜の市民が死ぬことになり、それを見て新たなテロリストが生まれるのです。
日本が戦後70年平和だったのは、我々日本人が「広島と長崎の復讐」を諦めたからです。リメンバー広島(リメンバーパールハーバーと同じ意味)ではなくノーモア広島になったからです。

投稿日時 - 2018-04-09 13:30:14

お礼

失うべきなら、なぜ失わせたら報復にあたる根拠はなんでしょうか。

投稿日時 - 2018-04-11 20:44:54

ANo.6

人道的にいけないなんて思いません。

ハムラビ法典で書いてある真意はわかりませんが、解釈はこうじゃないでしょうか。

仮に争っていて相手の目を焼こうと考えるなら、自分が目を焼かれたと仮想してからやれ、歯を抜くなら自分の歯がぬかれることを想像せよ。
それでもかまわないと思うならやれ、という意味じゃないですか。

もしやったら刑罰で同じことをされるぞ、と覚悟しろ、という話だったら立派な法だと思いますね。
人道的にいけないなんていうことはないでしょう。やるな、という意味で言うのですから。

現在でも死刑廃止論者がいて、人の命を奪うなんてとんでもない、というのは正論ですけど、当人はだれかを殺しているわけです。

ああ人を殺したら自分も殺されるんだなと思うのは大事なことです。

もし死刑が完全に廃止されたら、何をしても最悪終身刑ですから、気に入らないやつをどんどん殺してやろうと考える人間が増えると思いますよ。

社会のためだとか正義のためだと考えて一人一殺なんて考えて血盟団なんていうのが昔いました。井上日召という坊さんがこれを唱え、井上準之助、團琢磨、と暗殺を繰り返し、五・一五事件に向かっていくんですが、この殺人者連中すべて恩赦になり生き延びました。井上日召は昭和42年まで生きて80歳で亡くなりました。

こういうテロリストは、即座に撃ち殺したほうがいいと私は思います。それが目には目の精神だと考えます。

投稿日時 - 2018-04-09 11:55:04

お礼

想像なら如何様でも解釈できますよ。

投稿日時 - 2018-04-11 20:45:46

ANo.5

 一口で言うと「報復(目には目を歯には歯を)」が延々と続くから、と説明されています。

 甲がAを殺しました。いわゆる、正当防衛だったとしますか。

 ところが、BがAの子であるとして報復するそのほとんどの場合、Bは甲がAを殺す場面にいないのです。見てない。Bは神様でもないし、捜査権を持っているわけでもないので、Bに分かるのは、甲がAを殺したという事実だけです。あるいは、伝聞で知っただけで、その事実さえホントは分からないかもしれない。

 でも、"目には目を歯には歯を" で、Bが甲を殺す。

 甲の子乙にとっては、もっと分からない。わかるのは、ただBが甲を殺したという事実だけ。なのに、乙がBを殺す。

 となると、報復が延々と続くのです。

 しかも、くどいですが神様じゃないし、捜査権もないので、噂だけで報復は行われる。となると、例えば乙は、甲を殺したBではなく、まったく無関係のDを(例えば名前が似ているというだけで)殺してしまうかもしれない。

 ネットなどでよくある話です。たまたま同姓同名同性だったとために、無関係の人間が殺人犯として名指しされて叩かれて、大損害を被って、家族も・・・ 、なんて話。

 それはいくらなんでもまずいだろ、正当化はできないよね、というのが"目には目を歯には歯を" が禁止された理由です。 

投稿日時 - 2018-04-08 23:45:03

ANo.4

AがBに対して罪を犯した時、BにはAに対し同じ罪を犯すことを認める(罪とはしない)、こういうことになりますね。正当防衛ならぬ正当復讐?
被害者の意思により処理が決定し、実行されるという世が仮に来たとしたら、よく刑事ドラマなどである「弱い立場の人は泣き寝入り」ということが、常識的なものになるでしょうね。被害者の意思により、とは言っても、力関係などで、強い立場の人が得をしたりするので、法による平等な裁きが必要となるのです。

投稿日時 - 2018-04-08 23:40:03

ANo.3

もしかすると,あなたの中で少し勘違いがあるかもしれません。
「目には目を歯には歯を」は,本来過度な報復の応酬を防ぐための戒めとして重要視された言葉であり,やられたらやり返せと言っているわけではありません。もしかすると小学校の先生が むかしはね,目をやられたら目をやり返せって法律があったのよ~こわいね~ とそのまま覚えてしまっているのではないでしょうか?

報復を倍返しなどで行ってしまう報復合戦。例えばアメリカとイスラム国家の消えない遺恨などにたいして,法整備というのは与えた損害に対して,何らかの方法で同等の罰を与えるのもだとうたったものであり,そこである罪にたいして解決を図るために引用されるべき言葉であり,決して野蛮で非人道的な意味で使う言葉や法律ではありません。日本語の訳が,まるでやったらやり返せというようになっているので学校の先生ですら間違った解釈をしているのですが,
意味合い的には
「目をつぶしてしまった罪には自らの目で償う」「歯を折ってしまった罪には自らの歯で償う」と言ったように,罪を犯した人に償うべき事の重さを知らしめる言葉で,決してやり返さなくてはいけないと言っているわけではありません。
原稿の法律においてある犯罪や過失に応じて罰が決められているのも,同等の罰を総合的にみて判断して決めているという意味では,この言葉の趣旨を汲み取っているとも言えます。

まあ,こういっても納得はしないかもしれませんが。

投稿日時 - 2018-04-08 23:15:31

お礼

報復というのは、被害者が加害者に対して自分にしたことと同じことを体験させることを言うのではありません。
被害者が同じように加害者に対して断罪してもなお、加害者や加害者家族が「更に酷い目に合わせてやろう」等と更なる罪を重ねることを "報復" と言うので、意味合いが大きく異なります。

投稿日時 - 2018-04-08 23:24:20

ANo.2

自力救済を認めると
力のあるものが正義になり、腕力財力権力が正義となり弱者の権利が一方的に侵害される。
武力の確保が個人に求められるようになり結果として武装社会を招き秩序や治安が脅かされる。
教科書的にはこの辺の回答が求められるでしょうね。
ここで終わったら面白くないな。
では判決の結果として刑罰に復習権が付加されたらどうなるでしょう?

まず”遺族による報復は認めず、飽くまでも被害者の意思(文言)により、処理が決定し、実行される”この条件を認めると、報復の抑止に傷害が殺人に発展することが危惧されます。
本人に限定しても遺族に限定しても、遺志を継ぐ者がいない者のみ法的保護から外れるリスクが出てきますね。

被害者が意思表明できない場合国が代わって処理したらどうでしょう?
うーん考えてみると明確に反対する理由も見当たらないですね。
アメリカなどだと司法取引が成立しなくなりそうですが・・・確かになぜ被害者による公的復讐が近代法から抜け落ちたかは興味あるところではあります。

投稿日時 - 2018-04-08 23:09:57

ANo.1

 そんな事は無いと思いますよ。

 たとえば、神通力を使える人がいて、神通力を使って天変地異を起こして復讐しても、それを実証する方法が無い以上は裁く事は出来ません。その人の悪口を言ったら、巨大地震を起こして原発を吹き飛ばしても、実証出来なければ罪には問えません。神通力が科学的に証明されていない現在では、神通力は使い放題で、どんな復讐をしても法的処罰を受ける危険はありません。国を滅ぼしても罪には問われません。

 「目には目を、歯には歯を。」を実践しても、法的拘束力を持たない方法であれば、何をやっても構わない事になりますね。

投稿日時 - 2018-04-08 23:02:50

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