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江戸時代の女性はよく入浴したのでしょうか

テレビドラマで、江戸時代が舞台の時代劇を観た印象ですけれど、女性が入浴するシーンをよく観た気がします。
ドラマで観たとおり、江戸時代の女性はよく入浴したのでしょうか。

投稿日時 - 2017-05-13 19:51:26

QNo.9328887

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回答(4)

ANo.4

ご質問の参考となる書籍があります。
「江戸の女たちの湯浴み ー川柳に見る沐浴文化ー」(渡辺信一郎著 新潮選書)

江戸の町中には多数の湯屋(銭湯)があり、経済状態や住宅事情(内風呂の有無)などによりもちろん差はありますが、一般に江戸に住む女性はよく入浴していたようです。

その傍証となることをいくつか紹介しますと、江戸の湯屋では「留桶」(とめおけ)といって金(祝儀)を支払えば「自分専用の桶」を常置しておくことができました。この「留桶」はどこの湯屋でも女性の方が多く利用し、冒頭の書籍が引用した「守貞漫稿」によれば男子が十人に一人の割合なのに対し、婦女は十人に九人が利用していたということです。

女性の方が清潔さを重視したということでしょうけれど、あまり行かない湯屋にわざわざ金を払って自分専用の桶を置いておくとは考えにくいことは確かです。もちろん留桶を置けたのは比較的裕福な女性に限られたのでしょうけれど、「留桶を 使い長屋で 憎まれる」という古川柳もありました。長屋住まいで留桶を使える懐具合の人は少なかったが皆無ではなかったということでしょう。(誹風 柳多留 20十二)

また入浴料は現代の銭湯と同様に1回ごとに支払うのが普通でしたが、月決めで支払う「留湯(とめゆ)」という仕組みもありました。これは個人(1人)でも一家(家族全員)でも可能で、天保のころで個人の場合は1人1か月148文ぐらい、家族の場合は1か月(100文~148文)×人数分だったそうです。月決めで支払えば毎日どころか、1日に何度でも入浴可能でした。

冒頭の書籍には「御内儀を 留湯にするは きつい損」という川柳も紹介されていました。1日に何回でも入浴できるから、「御内儀(ごないぎ)」(裕福な家の女房)が留湯にされると湯屋の大損だというのです。

なお江戸の湯屋は男女混浴のところと男湯・女湯に分かれているところの両方があり、混浴のところを「入り込み湯」と呼んでいました。

投稿日時 - 2017-05-15 13:31:30

ANo.3

その人の経済事情によりますね。大店の女将さんクラスなら毎日ですし、長屋の古女房なら2~3日置きとか。あと江戸市中とそれ以外の地方都市(京都大阪含む)で風呂事情が全く異なります。

江戸住まいの町人なら毎日、大工とか火消しみたいな粋を尊ぶ職人の男なら日に何度も風呂屋に通うのも普通でした。江戸なら一般的な入浴料は8文(約120円)前後だったので、日銭を稼げているのなら問題にならない額でした(大工仕事なら日当で銀4~5匁、5~6000円くらい貰えた)。

現代と違い女性がお風呂好きなのは好ましい習慣とは思われておらず、むしろ無駄に身奇麗にする女は女郎っぽい~つまり売春婦みたいだと嫌われました。逆に男は前述の通り日に何度も風呂に入り、そのおかげで肌の脂が抜けきってカサカサになったのを「垢抜けた」と言って喜ぶくらいでした。

あと風呂屋で髪を洗うのは御法度!髪を洗うとゆすぐのに大量の湯水が必要になるので、貴重な水を使う洗髪は自宅の炊事場や裏手でこっそりを個人個人でやるものであって、公共のお風呂屋さんで洗髪するのは重大なマナー違反でした。ちなみに女性でも洗髪の頻度は多くても週1、普通は月に2~3回でした。

あと現代の銭湯と全く異なるのが、江戸時代の銭湯は基本的に男女混浴で老若男女が同じ1つの浴場に入っていました。幕府は風紀が乱れると言う理由で何度も混浴禁止令を出していますが、明治時代になるまでは余り守られずに基本はずっと男女混浴でした。これについては幕末に日本に来航したペリー提督も驚いたと本国に報告しています。

尚、混浴が多かったのはエッチな目的では無く、単純に当時の技術では男女それぞれに別に浴場を分離して施設を作る事が難しかったからです。脱衣場や番台もありましたが、現代の銭湯みたいに仕切りなどは無く全体が筒抜けで体育館みたいに広い空間一面に入り口から番台、脱衣場~浴場と一面の板張り続きで繋がって見渡す事が出来る構造になっているのが普通でした。

またよく江戸時代のお風呂は蒸気を使った蒸し風呂だった~と云うのは半分本当ですが、江戸初期の風呂屋は今で言うところの「ソープランド」みたいな商売が多く繁盛してましたが。1703年に起きた元禄大地震の影響で多くの店が潰れてしまい下火になり、その後に再び隆盛を取り戻してきた時には現代でもおなじみのお湯を浴槽に貼って浸かるスタイルが主流になりました。

投稿日時 - 2017-05-13 23:13:16

ANo.2

>ドラマで観たとおり、江戸時代の女性はよく入浴したのでしょうか

入浴していました。
特に、江戸では「火事と喧嘩は、江戸の華」でしたよね。
長屋の連中は、火災を避ける為に「湯屋・銭湯」で風呂に入っていました。
面白い話では、奉行所の同心は「朝風呂は、女湯に入る」という習慣がありました。
江戸っ子は「朝ぶろ」に入るので、女湯が空いているとか色々な説があります。
余談ですが・・・。
銭湯は、混浴も多かった様です。
明治新政府は、欧米からの非難で「混浴禁止令」を出しています。
まぁ、実質的に罰則がなかったので「今でも、混浴の温泉施設」が残っています。
それと、風呂屋は「湯桶(お湯タブ)・洗い場・蒸し風呂(サウナ)」の3か所に分かれていました。
洗い場には「男性の三助」がいて、「有料で、背中を流して貰う」事が出来ました。
多くの女性も、三助を利用しています。
2013年12月29日。日本で最後の三助が引退しました。^^;

投稿日時 - 2017-05-13 22:30:42

ANo.1

今のように裸でお湯につかるスタイルは、江戸時代の末期以降
それまでは手桶で体にかける「掛かり湯」が普通でした。
その時床に敷く布が「風呂敷」です。

投稿日時 - 2017-05-13 20:15:15

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