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イタリアはなぜ逃れたのか?

三国軍事同盟は、日本とドイツとイタリアで構成されましたが、


ドイツはナチス、日本は多額の賠償金など散々に叩かれましたが、イタリアはなんのお咎めもなかったのでしょうか?

まるで日本とドイツの陰に隠れてしまって罪も逃れてしまったかのようですが、



日本は東条英機、ドイツはアブドラヒトラー、イタリアはムッソリーニと名だたる悪童が集いますが、ムッソリーニだけは、お咎めなし。


これは、早々と降伏したということで、罪も最小限に止めたということでしょうか?

投稿日時 - 2014-11-22 19:31:34

QNo.8833755

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質問者が選んだベストアンサー

イタリアの場合

43年の降伏を境に枢軸国側に残ったファシスト残党政権と連合国側に寝返った王国政権で同士討ちになったのを加え
モスクワの影響下にあった共産パルチザンの活動も活発でした


王国政権側ではアレキサンドリア港に潜入し英海軍戦艦2隻を着低大破させ
英地中海艦隊を弱体化させロンメルの第二次攻勢を可能にしたデ・ラ・ペンネ大尉率いる海軍特殊部隊が活躍し
日本海軍の戦艦1隻より多くの戦果を上げ、事実上枢軸海軍を封じ込めました

(戦後、ソ連に引き渡された伊海軍戦艦のジュリオ・チェザーレの謎の爆沈も元伊海軍特殊部隊員の仕業と噂されています)


イタリアの共産パルチザンはかなり残虐で
ムッソリーニだけでなく、多くの枢軸側のファシストイタリア軍将兵を虐殺
これは大戦終了後も続き
中にはファシスト党本部でただタイピストの仕事をしていただけの女性の家族全員を殺害したりしています


またイタリア領であったイストリア半島を戦後領有化したユーゴスラビアの共産パルチザンにも
その地に居住していた一般のイタリア人市民を多数虐殺されました


戦後、ギリシアがそうであったように共産化の恐れがあったイタリアには
米英のテコ入れも必要でした
従ってそれに伴い、コロコロ名称を替えたイタリアの情報部も活動的で
クーデター未遂事件や左翼テロに見せかけたテロも実際行っています

また左右両翼も活動的で軍隊並の軍事訓練を行い、実際直接行動に移ることもしばしば

それに対する国防省の国家憲兵隊や内務省の国家警察も過激に対応
国家憲兵隊が右翼の軍事キャンプに軍事的奇襲をかけ銃撃戦になったことも

その上に加えてマフィアやカモッラの様な犯罪組織も政治家柄みで過激な行動を行う
一時はマフィアと左翼テロ集団赤い旅団が結託するなど

戦後イタリア史は日本やドイツに比べ、過激で暴力的です

冷戦下のアメリカにとって
これ以上表向きに刺激して東側につかせてしまう様なマネをしたくないでしょう
(かといってCIAなどによるイタリア情報部への秘かな支援は継続していましたが)

投稿日時 - 2014-11-23 00:33:03

お礼

シチリアね

投稿日時 - 2014-11-24 01:16:00

ANo.4

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回答(4)

ANo.3

枢軸国イタリアは戦争中にムッソリーニが失脚して内戦状態となり、現在のイタリア国家の前身となる反ムッソリーニ側が連合国に鞍替えして参戦しています。大日本帝国の立場では、ムッソリーニ側のイタリア社会共和国が正統なイタリア国家であり、反ムッソリーニ側のイタリア王国バドリオ政権は反乱軍?で正規の国家として承認しておらず、従って1945年7月15日の連合国イタリアによる対日宣戦も無効?としています。
しかし、勝者の歴史では、イタリア王国が政権交代により枢軸国→連合国と変移したとされています。
なお、ムッソリーニの側は北イタリアにドイツの傀儡政権としてほんの暫く存続してドイツと命運を共にします。ヒトラーは捕まる前に自殺、ムッソリーニはパルチザンに捕まり処刑なので、ともに戦後処理による正規の「お咎め」は受けておりませんが、ムッソリーニの場合は裁判なしの処刑なので「お咎めなし」どころかヒトラーよりも悲惨な末路ではないでしょうか?

投稿日時 - 2014-11-22 20:24:02

お礼

そのようなことがありましたか

投稿日時 - 2014-11-24 01:16:49

ANo.2

パリ条約が
、1947年2月10日に締結。旧枢軸国イタリア、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリーの各国ごとに連合国21か国と結ばれた一連の条約を指す。



軍備制限を受け賠償金を課された
領土
原則的に1939年9月以前の国境線に戻すこととなった。
・イタリアの領土の内、タンドおよびアルプスの国境地域の一部がフランス領となった。
また、戦前に獲得していたフィウーメ(現リエカ)はユーゴスラビアへ、
またトリエステはトリエステ自由地域となった。
ロドス島をはじめとするドデカネス諸島、はギリシャ領となった
。またサセーノ島に関する請求権を放棄し、アルバニア領と認める。
さらにイタリアは、イタリア帝国・rチオピア他
海外植民地の権利をすべて失う。
ただし、最終的な帰属画定は行われず、中でもイタリア領ソマリランドはイギリスの占領下に置かれたものの
1950年にイタリアの信託統治地域となり、1960年のソマリア独立まで続いた。



賠償金
イタリアは、ユーゴスラビア、ギリシャ、ソビエト連邦、エチオピア、アルバニアへ3億6,000万ドルを支払う。

※ムッソリーニは、イタリア王国に反逆し、ナチの傀儡政権イタリア社会共和国を作った
反逆者売国奴として、パルチザンの即決裁判で処刑、、さらしものに、された。
イタリアは、ファシスト党と王室に責任を押し付け、共和国になり、
連合国の指導で、一応、自主的に戦犯裁判を行う。
皮肉なことに、ファシスト体制では抑圧されていたシチリア・マフィアの活動が
戦後、活発化した。

投稿日時 - 2014-11-22 20:12:53

お礼

ソマリアはそういう闇にも包まれてますね

投稿日時 - 2014-11-24 01:19:55

ANo.1

ムッソリーニは処刑されてますよ?
お咎めがないのではなく、国自体が変わったとみるべきです。戦前のイタリアと戦後のイタリアはまるで違う国という事です。

投稿日時 - 2014-11-22 19:51:34

お礼

なんともムッソリーニ

投稿日時 - 2014-11-24 01:20:34

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