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解決済みの質問

生きがいの見つけ方を教えてください

私は某国立大学の医療系6年制学部に通う4年生です。
特に動機もなく医療系学部に来てしまったせいか、将来何がしたいのかわかりません。
将来は月に10万円くらいお金が稼げたらいいな、という微妙なモチベーションでありながら、同学年の人たちが何人も留年や休学をしている中、今のところ何事もなく学生生活を送っています。

大学では、同じ学部には1人も信用できる友達はいないし(一応クラスでは毎日みんなと会話しているし、いつも一緒に授業を受けている友達もいるので、一匹狼とか浮いているってことはないですが)、尊敬できる先生や先輩などは誰もいません。部活にも入っていないので、後輩もいません。

普段は毎日ネットで知り合った友達とTwitterやSkypeで絡んでいます。なので、友達はほぼ全員顔も知らない人です。
でも、ネットしか自分が素直になれる場所はないので、ネットで知り合った人は本当に大事だし、そこがわたしの唯一の居場所です。

いまの恋人はネットで知り合いましたが、親が昔気質な性格なので、その人と将来結婚するとか、そういうことは多分ないでしょう。また、自分は結婚するまでは深い関係になるつもりは毛頭ないので、今の恋人ともそのうち終わる気がします。(付き合ってる間からそんなことを考えている自分は、相手に対して失礼だと思うし、そんな自分を軽蔑してますが、それは今回の本題ではないので、また別の機会に。)きっと誰かを本気で愛したこともないんだと思います。精神的な寂しさを埋めてくれる相手が欲しいだけなのかもしれません。だからいつも恋人1人に依存しきって、重いって言われてふられるのを繰り返してるんでしょうね(笑)

将来結婚したいのかと言われれば、女に生まれたんだから、一度もウエディングドレスを着ずに死ぬのはもったいないかなーという程度で、それ以上の結婚願望は特にありません。
また自分は昔癌になり生殖機能がないので、こどもも産めないし、結婚自体難しいでしょう。
同級生や幼馴染の何人かは、既に結婚して子供をうんで、幸せな家庭を築いていますが、子どもを持たないことが初めから分かっている自分は、結婚する理由も別に見つからないです。

自分がなぜいま生きているかと言ったら、ひとりっ子だからだと思います。
まだ両親とも健在なので、親を看取るまでは死ねないなーと思います。
大学の勉強を頑張っているのは、親を喜ばせたいからです。

親に心配かけないように、親が生きている間は、それなりにちゃんと生きれそうです。
けれど、「親がいなくなったらいつ死んでもいいな」って毎日のように考えている自分は、自分なりの“生きる動機”を持っていないので、親が死んだあとどうなるんだろう、と思っています。

生きていても、そんなに楽しいことはないので(食べることが一番好きです)、希望としては40歳くらいまで生きれたら十分かな、と思っています。あと、20年弱ですね。

よく、「生きたいのに生きられない人がいる」と言われますが、それは承知しています。
私自身、癌で、生死をさまよい、見知らぬ方からの善意で移植を受け、何とか救ってもらいました。
なので、いただいた命なのだから、その命を有効に使わないといけない、だから親が死んでも、そのあと自殺とかはしちゃいけないなと思っています。

なので・・・
その命を有効に、前向きに使う方法が知りたいのです。
今の自分は、将来の自分の人生に生きがいがあるとは到底思えません。

稚拙な文章ですみません。

投稿日時 - 2013-01-30 18:58:18

QNo.7919354

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

NO.3です。お礼をありがとうございます。

私の病気は西洋医学では原因不明と診断されました。
東洋医学では「腎(陽)虚」。生きる力が低下して体中が不調な状態です。
あなたも常に病院のお世話になっているようですが、私も特効薬や手術で治るものではないので、ゆっくりと漢方薬やお灸で様子を見ながら、体を冷やさない食べ物や暮らしに気を付けるなど、養生を続けるしかありません。
医療費もかかるし養生のための手間もお金もかかるし、生活自体を大きく変えました。

直接の原因は先の回答で書いたように、前夫のDV、離婚に伴う引越と転職、元彼のストーカーと恐喝、避難のための引越と転職、警察の取り調べ、裁判、父の急死、ノイローゼになった母の世話、リストラが15年位の間に続いた疲れです。
全身の不調をそれぞれの科で診てもらっても原因不明と言われ、これは心因性のものと思ってカウンセリングを受けました。
今までの生き方を振り返り、人間関係を分析し、両親の虐待を思い出した結果、子どもの頃から生を否定され、死に脅かされ続けていたと分かりました。
子どもの頃からずっと近親者から暴力をふるわれてきたせいで、心も体も常に緊張状態。
何もなくても強張っていて、何もしていなくても疲れてしまうのです。

あなたのような珍しい病気ではありませんが、親に愛されなかったどころか殺されかけたわけだから、心も体も生きる力が奪われてしまったのです。
それでも生きています。それは、必ずしも良い環境で生まれ育たなくても、その人本来の生きる力が備わっているからだと思います。
これは心理療法や、野生動物や農業に関わったことで分かったことです。
生き物は自分を再生させる力があるのです。

>子どもがうめない人は生きている価値がないとおっしゃっていて、不信感でいっぱい
私は長い不幸のなかで子どもを失いました。
もう親子関係はこりごりなので、今の夫との間に子どもを作ろうとは思いません。
「ヒト」のメスとしては劣位ですが、「人」として、自分を再生させたことと今の夫との生活を守ることが私の役目だと思っているので、卑下はしていません。

その教授の言い分では、人より家畜や工場栽培の野菜の方が価値がある、ということになります。
そんなバカを税金で食わせてやっているわけですね、国立大学恐るべしです。
あなたも気にすることはありません。医療の仕事で子どもを救うのも広義で子育てです。
人間社会に生きている以上、私達は間接的に他人の子どもを育てているのですから。

>みんな頭が良く、人生で躓いた経験もなく、健康に不安もなく、話題が合わない
彼らも遅かれ早かれ医療の現場で挫折します。
それより、九死に一生を得たあなたの経験は、医療の仕事をするうえで財産です。
死んだかもしれない重病を治してもらい、今は治す側にいて、何重にも幸運です。
まだ失ったものの方が気になっているから、生き抜いたこと&生死を背負った身で医療の職業人として立つという、天から与えられた役目に気付いていないだけに思えます。

>同級生に子どもが出来て、それを素直に喜ぶこともできません。心が狭い人間
不妊治療をしている女性もよく言う悩みです。
素直に喜べない自分を認めましょう。それだけの理由があるのだから仕方がありません。

>大人になるにつれて、自分の未来に、ほかの人にはある普通の幸せがないと思うように
それだけあなたが未来や幸せにどん欲になってきたということです。
心が変化したから苦しくなっているということです。
社会的な手応えは仕事やボランティアの達成感で得られることなので、早く一人前になりましょう。

あなたの周囲の「普通」や「大多数」があなたの幸せとは限りません。
先の回答に書いたように、「生」の喜びは最も根元的な感覚なので、本人に実感してもらうしかありません。
私は自分の心身に意識を向けることで感じます。普段の養生、呼吸法、農作業や登山など自然のなかで体を動かすことでです。
また、野生動物に接したり、民俗芸能などのプリミティブな芸術の鑑賞で得られます。
以前から、自然やそれに連なるプリミティブな文化には関わっていましたが、深く解釈したり実践するようになったのは病気の後です。
本や講義で家族問題を勉強し、心理療法を一通り受けた後、次はもっと命の深いところを知りたいと模索していた時に再発見しました。

自分に備わっている生命力を意識すること、他の生き物の生命力に触れてみることをお薦めします。その方法は自分で探して下さい。

投稿日時 - 2013-01-31 04:16:25

お礼

2度目のご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり失礼しました。

私の心にある1つ1つの問題に、的確なアドバイスをありがとうございます。拝読しながら、なるほどそうかも知れない、ととても考えさせられました。

「まだ失ったものの方が気になっているから、生き抜いたこと&生死を背負った身で医療の職業人として立つという、天から与えられた役目に気付いていないだけに思えます。」という文章を読んで、一つ大切なことを思い出しました。

それは、私が病気をしたことで、失ったものも沢山ある一方で、得たものもあったということです(命を失わなかった今だから言えることだとは思いますが)。
辛い経験をしたことで、苦しんでいる人や辛い思いをしている人の気持ちに近づくことができるようになったと思います。

その病気を完治して間もない頃は、“私と同じ病気で苦しむ小児患者の命を救いたい”と小児科医を目指していた時期もありました。私なら、自分自身が経験した抗癌剤治療や放射線治療の苦しみを、誰よりもわかってあげられると思ったからです。

実際に自分が患者に癌だと宣告し、自ら実体験済みの厳しい治療を患者に対してすることができるかと自問自答したとき、それが辛すぎてできないかもしれないという不安、そして医師になるということは私の健康の問題上自殺行為に値するということを考慮し、現在は別の医療者の道を歩んでいますが、未だに自分が過ごした小児病棟の患者さんたちの姿が脳裏に焼きついて、彼らの元に輸血用血液を届けたいという一心から、献血推進のボランティア活動をしているのもそのせいでしょうか。

過去の辛い経験があってこそ、今の自分があるのだと思います。辛い経験のせいにして人生を悲観的に考えることもできますが、やはりそこが私の原点であって、それをプラスに変える力が必要なのだろうと思います。

幸せの形は人それぞれ違うということも知っていたはずなのに、周りに左右されて、自分の価値観を見失って動揺していたのかもしれません。

振り返れば、自ずとすべきことが見えてくるような気がします。生きがいは見つけられそうです。

大切なことに気づかせてくださってありがとうございました。

投稿日時 - 2013-02-01 15:43:09

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回答(5)

その道に於いて一流と呼ばれる職人と云う職人に逢い続けてみませんか。

時間を作っては一流の職人を捜す。
結構面白いですよ。
一流の職人というのは職種こそ違えども、其の根底に流れる血に共通項が見受けられます。

先ずは医療関係者を外して、畑違いの職種から捜すのが良いと思います。

私は医療関係者です。
しかし熱意、情熱、目標をもって仕事をする医療従事者はなかなか居ません。
他の業種でもきっとそうなのでしょう。

一般的な働く理由
日々の生活の為
家族の為
物欲の為
まぁ そんなところでしょう。

貴女は生死を彷徨ったからこそ感じ得るものがあり、達観しているのかも知れませんね。
職人に向いているかも知れませんよ。
女性は母性の為なのか「はまる」という感覚が希薄な人が多い様に思いますが、女性でも職人はいます。

ただひたすら同じ事を繰り返す職人の中に貴女の生き甲斐を見出す事が出来る気がしますよ。

私は子育ての中にこれを応用しています。
子供は遊園地やゲーム機器よりも、「すごい」と思った人に対して生き生きとした目をするものです。
その行動もまるで変わってきます。
親としても、次は誰に会わせてみようかと楽しくなってきます。
我が子が成人するまでに生き甲斐が見つかる事を祈って、職人との出会いを続けていくつもりです。

投稿日時 - 2013-01-31 14:18:36

お礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり失礼しました。

確かに、1つのことを極めている人はとても尊敬します。
なんでもマルチにこなす人も素晴らしいとは思いますが、私はどちらかというと1つの分野を極め、その分野では右に出る者はいないと言われるくらいになりたいと思います。

ただ、まだそこまで極めたいと思える分野、物事に出会えていないので、おっしゃる通り「先ずは医療関係者を外して、畑違いの職種から捜すのが良い」のかもしれませんね。
特に、今は同じ学部の人たちや先生たちに若干辟易している部分もありますし...(苦笑)

ちなみに、私の父は自動車整備士をしています。
普段は本も新聞も一切読まず、大学も出ていないし勉強もあまり得意ではないようです。
しかし、電気のこと、車に関することは何でも知っていて、私が幼い頃は一度も勉強を見てくれたことのなかった父が、大学入学後の物理実験で完全に行き詰まっている私に、大学のテキストを片手に流暢に解説をしてくれた時は本当に感動しました。

一つのことを極めている人は、どんな分野であれ本当に尊敬します。
私も何か1つ、誇れるものを持って、それを自分の生きがいにしていきたいです。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-02-01 16:11:04

質問文を読み、どん欲に生き甲斐や生きる動機を探しているようには思えませんでした。
「何となく面白くないんだけど…」とシラケながらぼやいているような、取り留めなのない内容なので、具体的な回答は難しいです。
ですが、敢えて言うならこのままでいいと思います。

「医療系の学生なんだから人の命を救うことを使命にしろ」とか、「親のためじゃなくて自分の人生なんだから自分の生き方を探せ」とか、色々な回答が寄せられるかもしれません。
でも、あなた自身が生きることに醒めた考え方のようなので、そういう人はそのままやっていくしかないと思うのです。
「生」という根元的なことは、本人が腹の底から思ったり、感覚的に捉えたりしない限り、他人がどうこう言っても響かないからです。

親が生きている間は生きるつもりだが、死んだ後はどうするか?とのこと。
今何となく生きている人が、数十年先のことを考えるのは無理です。
また、医療の仕事に就くのなら、患者の死や家族と直接的間接的に関わると思います。
職業人として、患者側の感情に流されてはいけないとは思いますが、一方でまた職業人として、生死についてずっと自分を問い続けなければいけないと思います。
生き甲斐や生きる動機のヒントは仕事が教えてくれるかもしれません。
アテにしないで待っていればいいんじゃないでしょうか。
尤も、私が患者だったら、自分達の税金で成り立っている国立大学の学生が、生死への意識が未成熟なまま医療関係者になったとなっては、心配だし腹立たしいですが。

私も一人娘で、子どもの頃は親に虐待され、大人になってからはパートナー達に暴力やストーカーを受けました。
今となっては、よく殺されなかったなと、虐待・DV・ストーカー殺人の報道を見る度に思います。
また、一人暮らしをしている時に病気になり、死を覚悟したことがあります。
今は健康ですが、野生動物に関わっているので、常に生死を目の当たりにしています。

生々しい現実に直面し続けているので、生き甲斐とか生きる動機などという机上の概念は、暇な時に何となく頭を過ぎる程度のことです。
生と死は50%50%です。今日生きて明日も生きたいけれど、それは分かりません。
だから全てが有難く愛おしく幸せに思います。
例え自分を苦しめることでも、生きているからこそ感じることだと受け入れています。
苦しみの対象も明日はどう変化するか分からないし、そもそも自分が死ぬかもしれないので、それにいちいち執着はしません。

投稿日時 - 2013-01-30 21:58:11

お礼

ご回答ありがとうございます。

私も10万人に3人と言われる病気になり、それを克服した当初は、生きていられることに感謝していました。
病室から一歩も出ることを許されず、治療の苦しみのあまり、もう朝が来なければいいのにと思った長い闘病生活だったので、目覚めた時そこが病室でないこと、ほかの人と同じような生活ができることを、幸せに思っていました。
自分が当たり前だと思っていることは、決して当たり前ではないということを痛感し、支えてくれた家族や友達、先生に感謝する日々でした。

しかし、その当時の私はまだ幼く、その病気を完治し健康を取り戻したとはいえ、病気を治す引きかえに失い、そしてもう二度と取り戻すことができないものがあることを認識していませんでした。

病気をしたことで、毎月複数の病院に通院し、年間の医療費も10万円を超えます。毎日飲まないといけない薬もあり、一生、健常な人と同じになることはできないのだと悟りました。

同世代の友人には、私のように毎日薬を飲まなくてはならない人も、3月に1度は血液検査をしなければならない人も、風邪をひいたので入院するという人もいません。
みんな頭が良く、今までの人生で躓いた経験もあまりなく、健康に不安もなく、そんな人たちとはまったく話題が合わないのです。

唯一尊敬していた大学の教授も、子どもがうめない人は生きている価値がないと先日講義でおっしゃっていて、不信感でいっぱいです。

同級生に子どもが出来て、それを素直に喜ぶこともできません。心が狭い人間なのでしょう。

大人になるにつれて、自分の未来に、ほかの人にはある普通の幸せがないと思うようになりました。

何も深く考えずに、ただただ健康を取り戻せたことに幸せを感じるべきなのでしょうね。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-01-30 23:20:25

ANo.2

質問文全体を通して、すごく冷めていて、やる気のない印象を受けますが、人を熱くさせるのは、何といっても「欲望」ですよね。

将来こうなりたいっていう理想を持つとか、何が何でも手に入れたい物があるとか、そういう欲望がないと、人は一生懸命になれないし、一生懸命になった人にしか、人生において本当の喜びや感動は経験できないんじゃないですかね。

月10万円稼げばいいって発想は、仕事はつまらないものだと決め付けていて、必要最低限しかしたくないってことなんだと思うけど、お金を稼ぐことに一生懸命になると、お金を稼ぐことほど楽しいことはないって思うものなんですよ。

お金があれば、何だってできるし、何だって手に入る・・お金を稼ぐことに一生懸命になることが、前向きに生きるということだと私は思いますが。

投稿日時 - 2013-01-30 21:20:35

お礼

ご回答ありがとうごさいます。

私は学生生活の傍らバイトをしているのですが、働くことは楽しいと感じています。勿論お金が欲しいのが理由ですが、なんといっても、体を動かすことが楽しいですね。
私は体を動かす仕事が向いているのだと思います。

昔は浪人生や高校生に勉強を教えるようなバイトをしていて、その当時は今の6~7倍くらい稼いでいましたが、ずっと机についていて、歩き回ったり走ったりすることがないので全然楽しくなくて辞めました。
今は時給700円くらいですね(笑)

実家生なので家賃等は必要ないのですが、1食あたり200円の食事代、文具代、教科書代以外のお小遣いは貰っていないので、バイトをしないと大学の売店で飲み物1つ買えません。

しかし今のバイト代、生活水準に特に不満はないので(私の両親は共働き、父はサラリーマン、学部の中では平均以下の家庭だと思いますが)、特にこれといって欲しいものもないですし、必要な分だけ稼げればいいかなと思っています。
友達と遊びに行くことも、年に1度あるかないかくらいですし、旅行などにも行きません。

将来、欲しいものができたら、お金を稼ぐことに対する意識が変わるかもしれません。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-01-30 23:56:06

ANo.1

まだハタチそこそこでしょ。そんなもんじゃないかしら。

私は生きがいというとオーバーですが、どうしてもやりたいことがあります。でもそれに出会ったのは27歳かそのくらいでした。さらにいえば、30代は「それがやりたくてもやれずにいた。あるいはもう二度とやることはないだろうと諦めていた」という時代でした。恋人もおらず、週末に競馬場で暇つぶしをすることだけが楽しみだけだった時期もありました。あんときは「俺の人生、終わったなー」と思っていましたよ。

なんか学業も真面目にやっているようだし、それならいずれ「生涯のテーマ」が見つかると思いますよ。だってまだ学生さんでしょ?世の中のことなんざなんにも知らないんだもの。
医療系なら現場に出ればいずれ「苦しんでる患者さんを前にして無力感を痛感する」経験をすることになると思いますよ。

投稿日時 - 2013-01-30 20:15:59

お礼

ご回答ありがとうございます。

まだ学生の身で、社会経験も人生経験も少ないため、やりたいことが見つかっていないのは当然なのでしょうか。

私は数年浪人していますので、同級生はもう立派な社会人だったり、母親・父親になっていたり・・・それと比較して自分はまだ学生で、しかも6年制学部のため、あと少なくとも2年間は学生、さらに大学院に行くとなると多分30歳頃まで学生をすることになります。

それから社会に出るわけですが、あと10年弱、モチベーションの低いまま、明確な目的意識がなく努力だけを続けていくのはなんだか辛いですね(途中で努力をやめてしまったら親が悲しみますので、頑張るつもりではいますが)。

医療系ですが、臨床が自分にはあまり向いていないのではないかという思いから、基礎系の研究員という選択肢も考えています。自分の場合は、特に沢山のお給料が欲しいわけではないので・・・ただし、モチベーションなく研究をしても、何も成果が出ないのではという危惧もあります。

同じ学部の人たちは、親の代から医療関係者という人が多くて、実家の病院を継ぐという将来が既に出来上がっているんですよね。あるいは、自分はこういう医療人になりたいという明確なイメージがある人が多いです。

周りと比較すると、自分は何のために努力しているんだろうと意味がわからなくなりますね。

もう数年、数十年して、死ぬまでには何かしら生きがいを見つけられたらいいなと思います。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-01-30 23:02:02

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