こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

現在の日本で、「鯨は文化」は、まやかしではないか?

先日、地元のNHKで、瀬戸内の小学生が船を漕いで、港近くの小島まで行く。という内容の番組を放送していました。

これを企画したのは小学校の校長先生で、現在では「村上水軍の子孫が船にも乗れない。」と事実を嘆いてのことだったようです・・・。

現代の日本は、便利な世の中になり伝統の継承が難しく、文化の衰退も激しいのではないでしょうか?

その点を考えれば、鯨漁も同じだと思います。

映画、「THE COVE」の舞台になった和歌山県太地町の鯨漁でもエンジンのついた現代の船で漁に出て、鯨を追い込み、仕留めた鯨にはワイヤーをかけ、ウィンチで引き上げます。
これは完全に伝統漁ではありません。
伝統漁をしていた昔は、手漕ぎの船で漁に出て、仕留めた鯨は、人力で船に引き上げてたはずです。

「このような機械化された漁を日本古来からの伝統文化と呼ぶことはできません。」

なぜ、日本人は鯨を食べる時だけ「文化」を主張するのでしょうか?

その理由は「鯨は美味しいから?」、「「食べる事自体は楽だから?」、「伝統漁は肉体的にキツイからなくなってもいい!?」なのでしょうか?

本来なら、昔ながらの船で漁に出て、人力で鯨を捕獲し、解体し、料理して食べる。
この流れを通して、初めて「鯨は文化」だと主張できるはずです。

昔は確かに鯨漁と鯨料理は「文化」だったと言えたでしょう。

しかし、現代の日本で鯨を「文化」だと主張することは出来るのでしょうか?

投稿日時 - 2011-08-29 21:02:34

QNo.6976253

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

鯨漁及び鯨食は文化ではありますが、伝統文化、伝統芸能のたぐいではありません。長良川の鵜飼のように伝統文化と呼べるものは古来よりの漁法が宮内庁などにより引き継がれておりますが、鯨に関しては、ただの文化なので時代と共に漁法は変遷しているとみるのが普通なのではないかと思います。

単純に日本には北欧などのように鯨を取って食べるという文化があるということでよろしいのではないでしょうか?とはいえ、古来の鯨漁は沿岸捕鯨でありましたから、南極海まで出かけて取ってくるのは果たして文化と言えるのかどうかは疑問に残るところではあります。

ちなみに私は鯨ベーコンが好きです。

投稿日時 - 2011-08-30 11:42:11

お礼

回答ありがとうございました。

大変、参考になりました。

投稿日時 - 2011-08-30 16:18:16

このQ&Aは役に立ちましたか?

1人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(13)

ANo.12

そっくりそのまま言葉を返して差し上げます。
文明と文化を区別していますか?

あなたのようなダブルスタンダードが反捕鯨の基本です。
横文字では分からないかも知れませんので補足しておきますが、
ダブルスタンダードとは比較するある事例と他の事例とで基準を替えることです。
世間ではコレを「卑怯」と言います。

手段は文明によって変化するものの、
白米を食べ、俳句を嗜み、伝統芸能を鑑賞するのは「文化」であるが、
手段が文明によって変化するが、
クジラを食べるのは「手段が文明によって変化しているから文化ではない」
と言う主張をあなたはしています。
明らかに矛盾です。論理破綻です。

投稿日時 - 2011-08-30 07:07:17

補足

私の立場が「反捕鯨」だと質問文のどこに書いていますか?

なぜ、あなたは私の事を「反捕鯨」だと思うのか、ぜひともその論拠を聞かせてもらいたいものですね。
私としては、勝手に人の事を「反捕鯨派」だと決め付けるのはやめてもらいたいですね。

私は鯨問題に「文化」を持ち出すのは、反捕鯨派の人達にとっては「まやかし」にしか見えないと言っているわけ。。。

おわかりですかな!?(笑)

投稿日時 - 2011-08-30 10:06:49

ANo.11

捕鯨は文化ではなく、「鯨を有効利用する」ための単なる「手段」の一つです。

「捕鯨」自体は文化でもなんでもなく、「鯨を有効利用する」という目的を果たすための過程に過ぎないので、そこが近代化されているからと言って、「鯨を有効利用する」のが伝統文化であることに変わりはありません。

打ち刃物を作るのに電動ハンマーを使ったり、寿司を作るのにステンレスの包丁を使ったり、歌舞伎や能を観るのに強力なライトを使ったりしても、それは単なる「手段」の進歩であり、伝統文化であることに変わりはないんです。

逆に質問したいのですが、あなたはどこで線引きをされているのですか?

エンジンやワイヤ、ウィンチといったものが捕鯨に利用される以前も、捕鯨に使われる道具は時代と共に様々に変化してきました。

例えば銛頭は、チタンやステンレスのような強く錆びにくい素材がない時代は、鍛鉄を使っていました。鍛鉄すらない無い時代は石や動物の骨でした。漁に使うロープも、ナイロンやポリプロピレンと言った化学繊維が無い時代は麻や綿の繊維でした。それすら無い時代は植物のつるや動物の皮を編んだものでした。

こうした「手段」の進歩の中で、どこまでが「古来からの伝統文化」で、どこからが「伝統文化と呼ぶことはできない」のですか?また、その理由はなんですか?

投稿日時 - 2011-08-29 23:01:34

補足

>>エンジンやワイヤ、ウィンチといったものが捕鯨に利用される以前も、捕鯨に使われる道具は時代と共に様々に変化してきました。

例えば、何らかの理由で外国からエネルギーの輸入ができなくなったとします。
そういう事態になった時、鯨漁はできるのでしょうか?
この事は実際、鯨漁だけに限らないわけですが、ここでは取りあえず鯨漁の事を取り上げます。

エネルギーが輸入出来なくなると、船のエンジンは動かない、鯨を引き上げるウィンチなども動かないわけです。
このような状態では現代の漁師は漁をすることは出来ないでしょう。

昔、まだ外国からエネルギーなど輸入していなかった頃の漁師は漁をすることが出来ていました。
それは鯨漁という、伝統文化の継承が代々行われていたからです。

現在では漁の現場に文明が取り入れられ、文化が廃れた結果、現在の漁師はエネルギーなしでは漁が出来なくなった。
漁が出来ないということは文化が継承されていないということで、それは「文化がなくなった」ということです。

あなたは捕鯨は文化ではなく、「鯨を有効利用する」ための単なる「手段」の一つと述べられていますが、捕鯨れっきとした「無形文化」で、「民族文化」です。

投稿日時 - 2011-08-30 10:26:46

お礼

>>昔、まだ外国からエネルギーなど輸入していなかった頃の漁師は漁をすることが出来ていました。
それは鯨漁という、伝統文化の継承が代々行われていたからです。

訂正です。

昔、まだ外国からエネルギーなど輸入していなかった頃の漁師はエンジンが付いた船がなくてもウィンチがなくても漁をすることが出来ていました。
それは鯨漁という、伝統文化の継承が代々行われていたからです。

失礼しました。

投稿日時 - 2011-08-30 10:31:47

ANo.10

伝統芸能だけが文化では無いと思います。逆に、伝統文化って、狭い範囲の人だけの文化であり、日本の文化とは言えなくなっているとさえ思います。

例えば、歌舞伎とか、ごくごく一部の人のものでしかありません。それが文化だと言えるのかどうか。消えゆくものを、無理に文化だと言って残しているだけでしょう。

また、古いやり方を通さなければ、文化ではない、とは言えないと思います。現代漁業だって、日本の現代文化ですよ。食文化でもありました。

投稿日時 - 2011-08-29 22:56:56

補足

>>また、古いやり方を通さなければ、文化ではない、とは言えないと思います。現代漁業だって、日本の現代文化ですよ。食文化でもありました。

もし、外国から石油が輸入できなくなったら現代の漁師は漁ができません。
沖にくじらを発見しても「指をくわえて見てるだけで、何も出来ないのだとしたら、そこに文化はありません。」

古くからの伝統漁、文化が現在の漁師に継承されていたのなら、現代の船や装置がなくても漁はできるでしょう。

投稿日時 - 2011-08-30 10:43:31

ANo.9

文化は人間の命があってのものという前提とすると、現時点ではちょっとね♪
鯨肉の水銀、PCB汚染は半端じゃないレベルのようですよ♪♪
特に脂身にPCBが溜まりやすいようですから・・・

そのような情報に接しながらの鯨食文化は、これから始まる原発汚染食材の積極利用推進と同じようなのかもしれないですね^^

これからのトレンドとなりそうなセシウム含有食も「文化」となるのでしょうかね♪♪♪


現時点で、
鯨のベーコン、関西のおでんのコロなどを好んで食べる人とは親戚にはなりたくないなぁ~♪♪♪

投稿日時 - 2011-08-29 22:41:23

ANo.8

鯨を文化と言う内容ですと古典芸能の人形部品にヒゲが使われていたりと捕獲した後の素材利用法もありますよ?ただ、そういうのはご存知の通り後継者不足ですけどね。製造者も利用者の方も。

投稿日時 - 2011-08-29 21:57:21

お礼

回答者様の言われるとおりです。
昔は、伝統漁という「無形文化」
鯨料理という「有形文化」
鯨の二次利用でヒゲ、骨、油などを利用した「有形文化」があったわけです。

現在では伝統漁と鯨の二次利用品の文化は廃れ、食文化としての鯨文化だけが残っています。
捕鯨賛成派の人達は廃れた文化に対しては無関心で「文化を守れなどとは言いません」
「食文化」としての「鯨文化」だけは守れと主張しているわけです。

こんなことは「まやかし」でしかなく、外国の反捕鯨団体などが納得するわけがありません。
回答者様もそう思いませんか?

ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-30 10:53:25

ANo.7

もし今の鯨漁が文化でないなら漁業は文化でありませんね
文化について考えなおしてはどうでしょうか

投稿日時 - 2011-08-29 21:55:57

補足

漁師で文化功労者に選ばれた人っているの?

料理人ならいたけどね!?

投稿日時 - 2011-08-29 22:22:39

お礼

漁法は文化だけど、漁業は産業じゃないの!?(笑)

投稿日時 - 2011-08-29 22:32:42

ANo.6

>その理由は「鯨は美味しいから?」、「「食べる事自体は楽だから?」、「伝統漁は肉体的にキツイからなくなってもいい!?」なのでしょうか?

はい。
漁業は修行や苦行ではありませんから。
伝統的な漁法を文化として継承することも結構ですが、それが鯨漁や鯨食が「文化」であるための必要条件ではありません。


>来なら、昔ながらの船で漁に出て、人力で鯨を捕獲し、解体し、料理して食べる。
この流れを通して、初めて「鯨は文化」だと主張できるはずです。

いいえ。それは質問者様の主張に過ぎません。
時代に応じて形を変える文化はあります。
電気仕掛けの舞台や照明での下で行われる歌舞伎や落語が文化では無いわけありません。


>現代の日本で鯨を「文化」だと主張することは出来るのでしょうか?

いいえ。鯨は文化ではありません。あれは生き物です。
誰かがそのような主張をしているのでしょうか。

投稿日時 - 2011-08-29 21:53:40

補足

文明と文化の違いを理解してますか?

投稿日時 - 2011-08-29 22:34:17

ANo.5

このように

「捕り方」だけを「文化」

と書くところが、反捕鯨っぽいとは思います


もっと、「文化の定義」から考えなおされると、良いかなと思います

投稿日時 - 2011-08-29 21:39:16

補足

>>「捕り方」だけを「文化」

捕り方もですが「食べること」だけを「文化」するのはどうかと聞いているのです。

投稿日時 - 2011-08-29 22:04:06

ANo.4

なるほど。
印刷して本になった短歌・俳句は伝統文化ではないとそう仰りたいわけですね。

投稿日時 - 2011-08-29 21:30:31

補足

印刷した本は文化ではなく、文明です。

投稿日時 - 2011-08-29 22:00:08

お礼

文明と文化の区別、ついてますか!?

印刷した本の中身は文化ですけどね!?(笑)
ですから、短歌・俳句はれっきとした「伝統文化」です。

投稿日時 - 2011-08-29 22:26:38

ANo.3

「クジラを食べる文化」ね。

クジラを文化と主張するなんて余り聞かない気がするが。
 
極北のイヌイット達だって現在ではエンジンのついたボートに乗って銃を使ってクジラを取ったりするんだし、
手段が近代化したから文化と呼べないというのはナンセンス。

「文化的でない」「野蛮」という偏見から守るためにそういう理論で対抗するようになった。
日本人が「クジラを食べる文化」と言い出したのではなくて、
捕鯨に対して非難するバカがいるから、「文化」で対応しなきゃならなくなっただけ。

投稿日時 - 2011-08-29 21:29:23

補足

ですから、漁法も文化なのですから、その点でも対応したらどうですか?

投稿日時 - 2011-08-29 22:05:23

ANo.2

では、
冷蔵庫で鮮度保存された魚を刺身にするのも「文化」ではなく、
品種改良された米を電気炊飯器で炊いた白ごはんは「文化」ではなく、
機械でついた餅をオーブントースターで焼いて、太陽暦の1月1日に食するのも「文化」ではない、
そうおっしゃりたいのですか?

もしそうなら、何が「伝統文化」なのですか?
そうでないなら、なぜクジラだけを特別に「文化ではない」と主張されるのですか?

投稿日時 - 2011-08-29 21:25:20

補足

それなら、冷蔵庫がなかった昔はどうしていたのか?
電気炊飯器がなかった時代はお米を炊く時、どうしていたのか?など伝承されているのでしょうか?

それらの文化はすたれてなくなったのではないですか?

そもそもそれらの電気製品は文化ではなく文明です。誰も文明を否定などしていません。

それらを始めとした多くの文化が廃れていったことには関心がなく、そのくせ「鯨を食べる文化は守らなければにらない」という日本の主張はおかしくないですか?

外国の反捕鯨派が納得すると思いますか?

投稿日時 - 2011-08-29 22:13:28

ANo.1

鯨肉の需要は減っています。
2シーズン以上の冷凍在庫があります。
それでも続けているのは、あまたある天下り団体(海外漁業協力財団、日本鯨類研究所、日本捕鯨協会・・)の存続のためと、もし止めたら外国の圧力に屈したということになるので、それに対する「意地のようなもの」かと思います。
現在は調査捕鯨ですが、それは国策(公共事業)で税金注入が許されますが、それも含めて文化というのは、そういうシステム温存のための大義名分のような気がします。

投稿日時 - 2011-08-29 21:20:24

お礼

私も回答者様の意見に近いです。

「文化」という理由づけは方便にしかすぎないという気がします。
とても外国の反捕鯨団体を納得させられるようなものではありません。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-29 22:17:40

あなたにオススメの質問