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解決済みの質問

人を殺すことをどう思うか?

江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり、
私も実は、そうした感性を持っています。
よく時代劇で敵討ちですとか、ありますよね?
この現代は意識の上では助け合っていないでしょう?
ですから殺しもまた有り、ではないかと思うのです。
超法規的に許される殺しも有るはずです。

投稿日時 - 2011-08-18 17:13:31

QNo.6951143

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

>江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり、

残念ながら、違います。

他の回答者さんも書かれていますが、戦国時代でも「戦場以外」「戦闘以外」で人を殺せば罪人です。
非戦闘員である農民を「故意に」(つまり、流れ矢に当たった等では無く、食糧等の強奪の為に)殺した場合も、裁かれた例もあります。

そして、江戸時代でも、「戦場以外で人を殺す事は、非日常」です。

例えば、「無礼討ち」はドラマの様には行きません。

無礼打ちをした側は、奉行所に届け出なければなりません。
その際、「自分の所属・身分・係累(自身が役に付いておらず、部屋住み等の場合に)・氏名」と共に、何時、何処で、何処の誰が、どの様な無礼を働き、如何なる手段を以ても無礼を止めなかった為に(具体的に、相手の無礼を止めさせる為になにをしたのかも詳細も必要)、やむを得ず討つに至った」と届けるのですが、届ければ「それで終わり」ではありません。

届け出が「真か偽か」を徹底的に調べます。そして、「真である」と看做されなければ、重く処罰されます。討った当人だけでなく、家や係累、所属(藩)にも処分が及ぶ場合もあります。

又、仮に「真である」と認められても、「みだりに人を殺すべからず」という訳で、監督者への厳重注意がなされ、監督者による処分がなされます。蟄居謹慎位は勿論、若干の処罰を御公儀から下される事もあります。

はっきり言うと、「無礼討ちは、する方が損」です。
「相手は自分個人ではなく、主人や所属する藩を侮辱した
自分は切腹や討ち首で構わないから、相手の無礼を許さずにはおかない」
位の状況で無いと、する意義も意味もありません。

もし、「自分個人に対する侮辱」で無礼討ちをすれば、いい笑い者です。
「あの程度の事を言われた・された位で逆上するなんて、器の小さい奴だ」
「受け流す事が出来ないなんて、図星だったのだろう」

そして、「敵討ち」ですが、これも「届け出無し」には出来ません。
更に、「敵討ち」は「親・兄(跡取り)・上司」等、「目上の者が不当に殺された場合のみ」に可能なのです。

つまり、「弟が殺された」「友人が殺された」「部下が殺された」「妻が殺された」では、「正式な敵討ち」は出来ないのです。

「敵討ち」を求めて届け出ても、やはり「本当に、不当に殺されたのか」が吟味されます。
例えば、「酒に酔った上での、言い争い」がきっかけでは、「喧嘩両成敗」なので敵討ちは認められにくいでしょう。斬った相手側が、自ら役を退き、蟄居謹慎したり、剃髪したりして反省を示していれば、尚更難しいでしょう。

それに、「武士とあろうものが、不覚をとったか」

或いは、「敵討ち」ではなく、藩や御公儀が厳正に処罰を下します。

そして、敵討ちの許可が下りたとして、自分の生活圏に敵が居残っていれば良いのですが、敵が遠方へ逃げた場合、追いかけると「見事敵を討ち果たす」か「敵の死亡を確認し、証拠を得る」かしなければ、帰参は叶いません。

「見失った」「死んだらしい」「もう諦めた」等では、帰参は出来ないのです。

何十年も敵を追い、探し続け、漸く見つけ出した時には刀を持つのも容易でない程に老いていた、という記録もある位です。

又、一寸変わり種では「女敵討ち」というのがあります。

これは、「妻が浮気・不倫で出奔した」場合、「妻と相手の男」を討つというものです。

しかし、これも討つ側の男性が余程の人格者で、有能で仕事も出来て、誰からも慕われていて、何処にも非の打ち所が無い様な場合でないと、周囲の目は「妻に浮気された、情けない奴」「奥方にも余程の事があったのだろう」という見方が多いので、「女敵討ち」をするよりも、離縁した方がまだましだったりします。

>この現代は意識の上では助け合っていないでしょう?

それは、貴方が誰の事も「意識の上で助けていない」から、そう思うのでは。

「貴方が、して貰っていない」ではなく、「貴方が、してあげていない」から、という話です。


>ですから殺しもまた有り、ではないかと思うのです。

「意識の上で助け合っていない」と「殺しもまた有り」に、関連性がありません。

又、「助けない」事と「殺す」事も、同じではありません。


>超法規的に許される殺しも有るはずです。

「許される殺し」なら、既に有りますよ。例えば、「カルネアデスの板」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9D%BF

日本の法律だと、「緊急避難」にあたり、罪には問われません。
(但し、「緊急避難」にあたる状況を利用して「明確な殺意を以て殺害した場合」は、通常の罪に問われます)

又、凄惨な虐待やいじめに耐えきれず相手を殺した場合や、
長年一人で病人の自宅介護をしていた人が思いつめて将来を悲観して心中を図り自分だけ生き残った場合、
長年の病苦に耐えがたくなった身内に「これ以上苦しみたくない。殺して欲しい」と懇願され殺した場合(自殺幇助)等は、

罪に問われるけれども、「情状酌量」がなされて罪が軽減する事が多いです。

投稿日時 - 2011-08-18 21:19:38

補足

 

投稿日時 - 2011-08-18 21:29:52

お礼

 

投稿日時 - 0000-00-00 00:00:00

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回答(14)

ANo.15

こんばんは。

私の言うこの宇宙の真実の善の心は=全ての生命に対する慈愛の心です。
そして、それは、この宇宙には元々善、悪など存在せず、
人の心が創る、只の、意識、それが善、悪です。

まあ、人は考え方が微妙に違うから。
そして、その意識を、次元で分けると、4次元まで認識できる。
そして、認識できない次元が、ホーキンス博士によると
11次元まであるらしい。
さらに、5次元まで実験によりあるかもしれないと。

投稿日時 - 2011-08-19 22:37:49

お礼

回答ありがとう。

あなたの言う意味は理解できますよ。慈愛、いいですよね。

意識、ていうとね、通常は「認識体」を示す言葉なので、不容易に使うと、まずい、、、かも。

>人の心が創る、只の、意識、それが善、悪です。

それを言うなら、
人が他律的社会性のコースを走らせるための道具として、モラルや法規、と言った「二次的情報」、そこの中身として、善悪、が生まれた。と言うべきではないでしょうか? よって、p兄貴がよく言う「自律的社会性」とは正反対なものが善悪。

「自律的社会性」=短絡的な利己性を自制し、遠慮や思いやりといった、自発的動機に基づく自律的社会行動を意味し、そこでは、明文化された法律が無くても犯罪が起きないほど、社会性の醸成がなされている社会。

投稿日時 - 2011-08-20 09:47:50

ANo.14

感情移入した殺意とは別の次元で、殺人(=人間が人間の個体数を減らすこと)を定義した場合、定員超過の状態で定員数まで個体を減らす場合のみ殺人が正当化できます。

「沈没船の乗客が定員以上一艘の救命ボートに乗り、このままでは全員が助からない場合」のケーススタディでも殺人が正当化されています。

定員数を地球の定員とした場合、現在の約70億というのは定員超過に近づきつつあると考えるべきでしょう。
そして、地球の定員を超過したとき、上記のケーススタディでの倫理が適用され、「人類個体数の調整」が倫理的に認められ、粛々と実行されることになります。

投稿日時 - 2011-08-19 18:47:51

お礼

貴重なご回答ありがとう。

あなたの文章の後半は有意義な哲学の問題提起にできるのでは?

投稿日時 - 2011-08-19 22:27:48

ANo.13

詭弁の塊。。

投稿日時 - 2011-08-19 05:15:44

ANo.12

こんばんは。

ちょっと起きちゃいましたので。
要するに、psytexさんの理想国家を実現するには。
人々の心を本当の意味で善なるものにしなければいけません。
今の子供たちは、携帯電話、インターネットで直接同じ考えの
人と繋がることができます。
そこには、一切の社会的制約はないのです。
其の子供たちが善なる心を持てば、現実社会は、明らかに
影響を受け変わるでしょう。
だから、貴方がその手本として幸せになる必要があるのです。

私も子供の時から、この世界は善なる心を求めていると思っていた
者です。

インターネットは、ますます発展し、其の未来は、
スターウォーズ、マトリックス、ヴォーグ、アバターのように成るのかもしれません。
しかし、明らかに、インターネットの発展により、人間の進歩の速度は速まり、
今こそ、本当の善なる心がなければ、人間の未来は危うくなると思います。
psytexさんの理想の未来は、近いのかもしれません。

投稿日時 - 2011-08-19 04:32:22

お礼

ご回答ありがとう。

psytex兄貴の政策には「子供社会主義」というのがあります。
相続税は100%です。私有財産制度の否定で、全てのものが、みんなのモノ、になる訳です。

あなたの言う「善悪」というモラルは、法規などと同じで、二次的な社会情報であり、
他律的な行動を促すための矯正具です。

psytex兄貴の理想は、その対極にある、自制心や思いやり、といった自律的社会性です。

残念ながら、テフテフさんは、まだ認識が私より浅いです。失礼、馬鹿にする意味はありません。

まずは、ヒト型進化、アリ型進化、を検索してもらい、様々に考えてみてください。

正直「善なる~」というのは私の頭脳では理解できないです。他律的社会性を保つための、それは道具にすぎず、自発的な良い社会性のある行動を導くためには、(「善なる~」)の正反対の自律的社会性が必要となるのです。

投稿日時 - 2011-08-19 21:26:07

ANo.11

こんばんは。

>ネットワーク型社会<
これは、私でなくても、ほとんどの人が実現すると
思っているでしょう。

>個人相場変動制度による貨幣制度の廃止<
これは、アメリカのドルを基軸通貨とした貨幣制度が揺らいでいるので、
まづ、個人の前に、数カ国による基軸通貨制度になるかもしれませんね。

>ネット直接民主制によるネットコンペによる国会の廃止<
ネットを使った、ネットコンペによるやり取りは、出てくるでしょうね。
直接民主制度も可能ならできるでしょう。

>ネット登録制のプロジェクト型生産による企業制の廃止<
すでに、多くの企業が、ネットで商売を始めているので、
ますます、グローバルかする経済においては、必要になってくるでしょう。
しかし、プロジェクト型生産となると各会社、国家の利害関係があるので
国という壁を取り払わねばならないので、かなりの時間がかかりそうです。

問題は、今の世界経済、国家がどのような形で落ち着くかにかかっています。
しかし、ますますインターネットの役割は重要になってくると思います。
何しろ、世界中の人間の頭脳がネットで繋がるのですから。
国を超えて、同じ考え方の人のネット国家ができるでしょうから。(笑い)

投稿日時 - 2011-08-19 00:22:45

ANo.10

こんばんは。

人は、大なり小なり悩み事があります。
しかし、誰もそれを心に抱えたうえで、生きていき
人生を楽しむことが使命です。
この世界は、そういう善なる心を持つ人を必要としています。

人を恨み、殺すことで自分が其の使命を失くし、
人生を終わろうとすることは、悪以外の何者でもありません。

貴方も分かるでしょう。
それは、この世界を悪に導くことになり、
貴方の信頼する、psytexさんの理想の社会を、実現不可能に
してしまいます。
貴方は、自分の病気を抱えながら、楽しく生きることが使命です。
このカテにも沢山の悩みを抱えた人がいます。
その人達に、どうしたら楽しく過ごせるか、貴方が示すことが、
psytexさんの手助けとなると思います。

投稿日時 - 2011-08-18 22:52:10

お礼

回答ありがとう。

あなたはpsytex兄貴の理想とする社会が見えますか?
それは嬉しいことです。なんせ、私しか見えないと、さびしい思いをしていたので。

自律的社会化=ヒト型進化=ネットワーク型社会 が見えますか?

個人相場変動制度による貨幣制度の廃止、ネット直接民主制によるネットコンペによる国会の廃止、ネット登録制のプロジェクト型生産による企業制の廃止、も理解できますか?

私は40歳ですが、貨幣制度の廃止やネット直接民主制などは、中学生の頃から考えていましたので、psytex兄貴に出会って、どれほど感銘したかは、理解できますでしょうか?

まぁここは議論は禁止ですが、テフテフさん、あなたがいて本当に嬉しいです。

投稿日時 - 2011-08-18 23:22:49

ANo.7

殺されてしまった人にも家族や友人がいて、その家族や友人が死んだ人のことを悲しむ気持ちを理解してから、もう一度考えてみましょう。
そうすれば殺人が許されることがどうかが分かるでしょう。

投稿日時 - 2011-08-18 20:34:11

お礼

 

投稿日時 - 2011-08-18 21:28:10

ANo.6

冥府魔道の拝一刀の愛刀は胴太貫では?

投稿日時 - 2011-08-18 19:09:23

ANo.5

「冥府魔道」を進まれていらっしゃるのですか?
水鴎流斬馬刀で。

投稿日時 - 2011-08-18 18:20:21

ANo.4

人を殺していいということは、逆に言えば殺されても良いということです。
殺すことを許可するためには、殺される事を許可しなくてはいけません。

する側がいれば、必ずされる側がいます。

つまり、殺される覚悟のない人は、はなから殺すことなど許されません。


さらに言えば、殺す側は殺すか殺さないかを選択出来ます。
しかし、される側はそれは選べません。
ですから、自分に覚悟があったとしても相手にあるとは限りません。

ですから、いかなる理由であっても殺人は許されません。

また、この原則からすればすべての殺人者は死ぬことを承諾していることになりますから、常に死刑が相当となります。

投稿日時 - 2011-08-18 17:52:31

ANo.3

・江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり

間違いです。

江戸時代では、全国の殺人事件が年十件に満たない年もあったそうです。

また、戦国時代でも戦争以外の殺人は、切腹お家断絶でした。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

投稿日時 - 2011-08-18 17:31:09

ANo.2

殺しが日常的にある場合、
いかに殺すかより
いかに殺されないか
がより重要になります。

宮本武蔵が風呂に入らなかったように
常に警戒を怠らない生活など
まっぴらご免ですね。

そして、現代では武術を極めようが
ライフル銃で2km先から狙われては
どうにもなりません。
日本ではケンカを吹っかけて
ナイフが出てくることすら稀ですが
銃が出てきたらどうします?
全ての場合に対処しないと
「殺しが日常化した世界では」生きていけません。
いやだなぁ、そんな世の中。

投稿日時 - 2011-08-18 17:30:41

そういう人もいるでしょう

投稿日時 - 2011-08-18 17:27:02

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