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「芝居」と「演劇」

現代の日本語には、「紙芝居」という奇妙な誤用もが存在しますが、
『「芝居」は文字通りに客の行為を表現しておりますので、「演劇」と違い、
役者の振る舞いの存在が「芝居」なる語の意味には盛り込まれていない』
という「気がし」ます。

従いまして、次の様な疑問が浮かび上がって参りましたので、伺います。

『本来の「芝居」の目的は、単純な舞台芸能鑑賞だったのでしょうか?』

「謙譲」の概念との結び付きにも言及して頂けると、非常に助かりますから、
何卒宜しく御願い申し上げます。

投稿日時 - 2011-03-10 01:37:14

QNo.6582884

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回答(5)

演者達が提供する芸能が影響を及ぼせる観衆・聴衆への表敬の為に、演者達が潔く遜っている、という理想形を盛り込むべく、「芝居」なる名称の付与が試みられてきたのではないでしょうか?

投稿日時 - 2011-06-07 13:44:58

No.3です。

>つまり「芝へ居座る行為」だけを鑑みますと、
別段に「舞台芸能鑑賞」に特化しなくとも構わない筈でしょう。


質問者様は、「芝に居座って」いたのが役者だった可能性があるとのお説なのでしょうか。

私の乏しい資料では「芝に座った」のは限定された薪能などの催しで見られた、やはり町人以下、下々の「鑑賞者」だったとしか覗えないですね。



>「謙譲」との結び付きに言及して頂きたいものですから、
>顧客主体の発想の影響の有無

確かに「役者」はもともと「河原乞食」といわれたとおり、蔑まれていた様子が見られますが、
これは江戸初期の流れ者(お国一行もそうでしたが)を身分の埒外としたことからはじまったことで、庶民の社会ではむしろ役者は人気が高く、仰る「芝生の上」で役者が演じ、それを観客が上から目線で楽しむという状況はなかったのでは、と思います。

あくまで私見ですが。

投稿日時 - 2011-03-14 21:24:55

>「芝居」は文字通りに客の行為を表現しておりますので

本来公家やサムライとか上流階級の鑑賞する能やら舞踊劇を遠慮しいしい後ろの芝生に座って拝見させてもらっていた江戸庶民が、おおぴらにみれる人形じょうるりを人形芝居と言ったのでしょうか。狂言のくだけたものを茶屋(娼家)でやりはじめたら評判になって歌舞伎のあいまにそれを挟み、やがて自前の小屋を作って演じ始めたのを芝居茶屋と言ったということがあったのかもしれませんね。いずれにせよ歌舞伎(舞踊)の演劇化とはお互いに影響しあったに違いありません。いずれにせよ「芝居」は大衆パワーの産物であることは間違いないようです。
>本来の「芝居」の目的は、単純な舞台芸能鑑賞だったのでしょうか?』
お国歌舞伎の発展同様やはり”おとこの遊興”と関係があったのは確かです。

ご参考になれば。

投稿日時 - 2011-03-11 22:56:44

補足

有り難う御座います。

「芝居」という言葉は
文字通りに「芝へ居座る行為」を表現していますので、
其処には「演技者(パフォーマー)の行為」が盛り込まれていない訳ですから、其の発想の由来を知りたい、と願いまして、此の問いを提出させて頂きました。

つまり「芝へ居座る行為」だけを鑑みますと、
別段に「舞台芸能鑑賞」に特化しなくとも構わない筈でしょう。

従いまして確かに仰る内容は面白いのですが、
「謙譲」との結び付きに言及して頂きたいものですから、
顧客主体の発想の影響の有無につきましての御意見を伺えませんでしょうか?

投稿日時 - 2011-03-12 23:45:35

私見ですが、

芝居というのは、英語で言うところの”acting”であって、ひとりの役者さんが取り組む個人的な芸の名称であり、演劇というのは、照明、音楽、振り付けなど含めた総合芸術のことでしょう。

ギリシア演劇の形式では、最初にコロス(集団が歌と踊りを担当する)が舞台に上がって、雰囲気を盛り上げ、役者が出てきて、コロスと対話をすることで劇が始まります。そして、最後に役者が去った後にまた、コロスが出てきて鎮めの役をします。このコロスの役割が、人間と神々の仲立ちをするものであり、演劇はディオニュソスのお祭りで、神々に捧げられるものでした。役者は面をかぶりますし、舞台に上がった途端、人間ではない、神々への供げ物に変身しました。

日本でも、能楽の形式を見てみますと、役者はやはり面をかぶり、音楽に誘われて舞台に現れます。橋掛かりは短いですが、そこで、遠くからはるばる来たものであることを告げ、物語に入ってゆきます。物語が霊語りであるのは、良く知られた話です。あの世とこの世を結ぶのが演劇の本領で、魂鎮めの話が大部分を占めます。

謙譲の概念と、神々への捧げ物という概念は共通するところがあります。決して、役者個人の満足や、劇団の利害のために演劇を舞台に懸けていたのではないですから。

投稿日時 - 2011-03-10 13:20:07

補足

御意見を伺えて有り難いのですが、
他の方々からの御意見と同じく、一寸ずれていますね。

そもそも「芝に居座る動作主」は顧客達で御座いまして、
”acter”と違います。

つまり「演者達」の西洋近代的な自己主張の存在が、其処から窺われ難い、と感じられますので、
此の質問を提出させて頂いておりますから、
畏れ入りますが、再度の御意見を頂戴出来ませんでしょうか?

投稿日時 - 2011-03-13 00:01:44

語の変遷と伝統芸能の種類につきまして、どの点についてお尋ねなのか、いまいち判別出来かねます。

芝居という用語の語源でしたら国語や歴史、演劇のカテゴリーに入るとは思います。

ようするに、最古の用例が記録されましたのが語源で、語源の変遷は歴史上の話になり、今現在と比較した芸能論や解釈は演劇論もしくは演劇を扱う学問の範囲に入るとは思います。

学問上では、日本語・日本史・民間の習俗など、全体の一部として扱うか、演劇そのものの全体史・時代史・細分化した役者や小道具に特化する等と、結構とめんどくさい(笑)

まあ、本来的にと言いますと、神話や儀式としての側面ということになるとは思います。何らかの収穫際や鎮魂、吉凶などの冠婚葬祭に関わる所がありますし、吟遊詩人や講談など芸能的な変遷もあります。

書記言語の走りである、古代の壁画のように、歌謡舞踊も交えた口頭言語の走りという側面もあるとは、思います。

実際、一種の記憶術の原点だとも言えると思いますよ。

投稿日時 - 2011-03-10 10:43:20

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