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解決済みの質問

太平洋戦争はなぜ起きた

太平洋戦争で日本はアメリカに惨敗しましたが、戦争は回避できなかったのでしょうか? 当時、日本は石油や鉄鋼など重要な資源の半分以上をアメリカからの輸入に頼っていたので、兵糧攻めであっさり負けるのは誰の目にも明らかなはずですが、なぜ、日本は無謀な戦いに挑んだんでしょうか?

投稿日時 - 2011-02-24 18:19:25

QNo.6547454

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

戦争の原因を考える場合、両国を取り巻く戦略的環境、つまりどちらの側に 戦争を始めようとする意図や動機 、があったのかを知ることが重要になってきます。

日米開戦の前年である昭和15年(1940年)当時の貿易統計によれば、日本は主要物資の輸入の大半を米国に依存していました。即ち戦略物資である「鉄鋼」「石油」「工作機械類」等を米国からの輸入に頼っていたわけです。常識で考えても 産業必需物資の輸入を依存する相手に対して、日本からアメリカに喧嘩を仕掛ける意図や動機があったとは到底考えられません。なぜなら戦争になれば相手からの必需物資の輸入が止まり、たちまち原材料や石油 エネルギーが不足して国内産業は行き詰まり、 継戦能力を失うのは明白だからです。

結論を言えば、太平洋戦争開戦の意図や動機があったのは日本ではなく、実はアメリカの側だったという事です。アメリカは当時、泥沼状態にあった日中間の問題に関しては殆ど無関心に等しい程の考えであり、日本による満州国の建国を巡る国際連盟の会議で日本以外の国全てが「傀儡国家・満州国」の承認に挙手しませんでしたが、アメリカが主導したわけでは無く、どちらかと言えば欧州連合が主導していたわけです。

事実上、アメリカと敵対関係にあったソ連は欧州東側陣営と次々と手を結び、アメリカを牽制していました。ソ連と戦争をしてもアメリカは勝てなかったでしょう。それ程ソ連の軍事力は強大で、開発が進んでいたのです。ところがアメリカにとって幸いだったのは、日本が中国侵略・満州国建国という戦争の大義名分を作ってくれた事です。この「東洋の小国」を叩く事により、中国や朝鮮半島に恩を売る事が出来ると同時にソ連も牽制できると考えたわけです。中国の物資・産業はアメリカにとっても重要です。そこでアメリカは水面下で日本を挑発してきたのです。大っぴらにやるとソ連が割り込んでこないとも限らない。その結果が「真珠湾攻撃」に繋がっていったのです。形式上は日本がアメリカに対し無謀にも「宣戦布告」した事になっていますが、事実はアメリカの謀略に日本が引っ掛かってしまったという事になるのです。昭和天皇・政府もこの戦争は無謀とは解っていたものの、軍部の力は強大でそれに押し切られた格好になり、やむなく開戦という事になったのです。日本はアメリカの挑発にまんまと乗せられてしまった、という事です。

戦後は、悪名高き731部隊の人体実験のデータをソ連に流出させない為に、731部隊隊長「石井四郎」に対し、軍事裁判にかけない代わりに「データを寄越せ」と迫ったわけです。これがまんまと功を奏し、アメリカは人体実験のデータを手に入れて、ソ連との軍事関係を均衡化する事が出来たわけです。

投稿日時 - 2011-02-24 18:58:55

お礼

ありがとうございます。

たいへん参考になりました。下手なコメントは慎ませていただきます。ご了承くださいませ。

投稿日時 - 2011-02-24 22:17:40

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回答(13)

ANo.13

<満州事変の頃の国際的背景>
 第一次世界大戦後の世界平和の空気の中で、「中国に関する9カ国条約」1922年が結ばれ、(列強がヨーロッパの戦線に全力を傾けていた隙に日本が対華21カ条の要求をしたことが遠因)
 中国の門戸開放
 列強の中国に対する機会均等
 中国の国家としての主権尊重の原則
が確認されました。
 この条約に対する日本の違反に対して、『満州は中国ではない』という論理が、一応成立する余地があり、満州族の清朝皇帝溥儀を擁立しました。
 ところが、熱河作戦の地域は、山海関を越えてしまい満州の枠に収まらなくなってしまいました。


・支那事変(日華事変・日中戦争)
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大(熱河作戦以後)に作戦本部長として、中央の統制に服するよう現地にまで出かけていって現地軍指揮官の説得に勤めましたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される結果となりました。
 戦線が泥沼化することを予見して、石原は不拡大方針を唱え戦線の拡大を抑えようとしましたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷され、支那事変は継続していきます。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしのですが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

・満州事変の性格と支那事変の性格
 高校の日本史の資料・年表程度のものに目を通せば、その実態が分かります。

 満州事変(1931年)当時の日本陸軍の総兵力は45万程度で、「電撃戦での勝利」であったため、兵力・日本経済には大きな影響を与えていません。

 支那事変が、1937年7月に起こり、在留邦人保護と言う名目で継続され、1941年12月には、真珠湾攻撃を行い、アメリカとの戦いに入っていくのですが、それらの時点での主な統計数字を見れば実態が見えてきます。

 真珠湾攻撃をする直前の、日本本土・満州・中国大陸にある兵力は約190万(支那事変後に急激に増え、満州事変前の4倍になっています。参考:現在の日本=人口12000万の陸上自衛隊約16万、中国=人口13億の人民解放軍陸上兵力170万{誤差は大きいかもしれません}程度。)は、とんでもない数字なのです。
(陸軍兵力の急膨張で、士官学校出身の職業軍人は平時にはありえないような出世をどんどんしていったため、陸軍内部に日華事変の停止・撤退を望む声が盛り上がることはありませんでした。)
 対米、南方作戦のために、その後も更に兵員の数だけは増えていき、終戦時には、更に増え650万だったそうです。女性・子供・老人を除外した成年男子に対する軍人の割合を考えれば、国家経済が維持できるはずもありません。

 これだけの兵士を、生産を行わない「軍人」として動員したため、日本の戦前の各種工業生産力は1937年をピークに減少・横ばいを始めます。
 さらに、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。

 アメリカとの戦いを始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 政治が「軍」をコントロールしていれば、工業生産力を低下させてまで長期に戦いを続けることは考えられません。国益に明らかに反していて、無意味な消耗ですから。

 そして、中国側の焦土戦術(決戦をしないでどんどん内陸部に主力を後退させる戦略)によって、 中国側は「負けなければ勝ち」なのに対し、日本側は「勝たなければ負け」という、抗戦側の理論と侵攻側の理論のギャップで、戦闘を中止して撤退すれば『負け』という状況となっていました。
 
 『負け』ないためには、戦い続けるほかに方法はなく、アメリカから石油禁輸をされた日本(当時の日本産業の動力源は石炭。輸入石油の半分は軍が艦船・飛行機・車両の燃料として消費していました。)は、結局、中国からの撤退か、西太平洋の制海権を手に入れて、オランダ(既にドイツによって占領され、独立国家として機能していませんでした)の支配する領インドシナの石油を手に入れるかの選択(=戦線の拡大)となったのです。

 つまり、この時点で日本の経済的継戦能力は失われていて、ジリ貧負けは決定していましたが、中国戦線が内陸で行われたために、海軍艦船は無傷で残っていて、『負け』を認めて撤退する決断が出来なかったのです。

 アメリカ側も、日本が疲弊しているのが分かっており、アメリカ政府の首脳部は、日本が折れるものと思い込んでいました。(その為に、真珠湾攻撃が奇襲として大成功してしまいました。)

投稿日時 - 2011-03-01 18:38:15

ANo.12

 アメリカとの無謀な戦いを何故始めたかとこと同様に、何故中国本土に深く入り込むという愚を犯したかということも、当時の日本の同じ本質から生まれています。

 日米戦争の開戦理由は、『日中戦争を継続するため』です。
 当時、輸入石油の半分は陸海軍で消費(民間のエネルギーは石炭に依存していて、国産で賄っていた。)しており、石油がないと日本は戦争継続が不可能(=中国から撤退=中国に負ける)になるのです。
 ところが、本国がドイツに占領されて、軍事力の空白地であったオランダ領のインドネシアには、石油がありました。この石油を獲りに行けば、アメリカとの全面的軍事衝突は避けられないものでした。

 つまり、日本は何故中国と戦いを始めたかが分からないと、アメリカと開戦した理由が分からなくなります。

 長くなるので、2つに分けて投稿します。悪しからず了承ください。

<日本の政権構造と満州事変・日華事変・太平洋戦争(=対米戦争)の経緯>

 ― 満州事変と支那事変(日華事変・日中戦争)は、ある点で性格を全く異にしています ―

 戦前の政治体制では、軍(皇軍=天皇の軍隊。陸軍=参謀本部、海軍=軍令部)と内閣(=行政府)は同格の存在として、天皇の下に並立しています。(統帥権の独立)
 明治・大正時代までは、枢密院が天皇の補佐として実質的に日本の政治・軍事を統括した国政の主導機関として機能していましたから、並立する軍・内閣を統合するシステムが存在・機能していました。

 ところが、昭和になると枢密院の権威の低下と(枢密院は事実上、その構成員の個人的力によって動いていました。明治時代の枢密院のメンバーは、明治維新の立役者であり、倒幕軍の指揮官を経て新政府の高官となった人が多く、軍・政両方に幅広い人脈を持ち、両者を統括する力を持っていました。)、天皇自身のリベラルな考え方(美濃部達吉の天皇機関説とほぼ同じ考えを持っており、御前会議では、ほとんど異議を唱えませんでした。例外は2・26事件と終戦の決断の二つといわれています。)の結果、軍と行政を統合した国際的視野を持った政治判断が失われてていきます。

 この、政治=外交と軍事を統合する視野を欠いたまま、満州事変・支那事変(日華事変・日中戦争)が起こっていきます。
 ですから、中国本土への介入が日本と言う国家にプラスかと言う国家としての戦略的判断なしに、支那事変が起こり継続されたと考えています。

・満州事変
 「石原莞爾」という特異な才能の元で、演出されました。

 上に述べたような政治状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、張学良と極力事を構えない。」方針でした。(満州の軍閥、張学良の兵力は、満州に駐留している日本軍の10倍あるといわれていたからです。)
 ところが、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめ、満州を占領してしまったのです。
 この大戦果に、参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。(ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となりました。)

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略として、満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念するというものでした。

 日本は、当時一等国と呼ばれたイギリス・アメリカ・フランスに比べて支配地域が遥かに小さいため、イギリスなどのように植民地を未開発のまま薄く搾取する政策を取るのでは、これらの国に対抗できませんでした。
 そのため、支配民族のレベル向上による独立運動激化のリスクを知りつつも、占領地を徹底的に開発して国力向上を目指しました。

 国際連盟では、リットン調査団の報告にもかかわらず、常任理事国である日本の行動を容認する意見も強く(第一次大戦後の国際的な厭戦気分が影響しています。当初、ドイツもこの傾向を利用して、英・仏と戦うことなく国土の拡大を行ないました。)、石原莞爾の思惑通り事態は進むかと思えました。
 ところが、国際連盟で討議している最中に、日本軍が満州から中国に侵攻を開始(熱河作戦)し、面子をつぶされた国際連盟の諸国の態度が一変します。

 

 

投稿日時 - 2011-03-01 18:29:25

ANo.11

 私は素晴らしい知見だと思っていたご回答を、一把一一絡げにトンチキ説だと一刀両断されているご知見の中の軍部などの趨勢・動向、そして一部の事実は首肯できるものです。
 しかし、911陰謀説と真珠湾の背景については同一線上の問題にするのは少し逸脱のような気がします。
 確かにどちらも確定した歴史見解とはいえないくても。
 トンキン湾やウォーターゲート事件、イラク攻略などが白日になったのはそれなりの経過と事情があるでしょうし、だからといって911陰謀説と真珠湾のことを珍妙説と言い切ることもできないと存じます。
 無論、歴史の事実としての確証は不足はしていて、UFO的な容疑でしかありませんが。

投稿日時 - 2011-02-28 08:52:45

ANo.10

大東亜共栄圏思想です。

日本の場合は迫りくる西洋の危機に対して、東アジアを一つにまとめてそれに対抗する力をつける必要があったわけです。

戦争には多くの形がありますが、大東亜共栄圏を作るためには、「アメリカの占領」が必ずしも勝利条件ではないわけです。たとえどんな物量戦を仕掛けられても、引き際ひとつでどうにでもなったのです。
たとえば、朝鮮戦争では米・南朝鮮に押された中国・北朝鮮軍が休戦という形をいまでも取り続けています。
また、日露戦争も講和という形で終えていて、しかも日本の諜報員の策により、日本寄りの条件で講和に至っています。

ただし、アメリカはマハンの海洋地政学により、海洋を支配することがアメリカの力だという策を取っていました。
当時イギリスに劣る国であったにもかかわらず、海洋戦では日本と互角に戦ってたのです。
日本も少なくともミッドウェー海戦までは勝ってましたね。
引き際を間違えています。(東側はとくに重要ではありません。)

もう一つ。
大東亜共栄圏の根幹をなす地政学上、大陸からの侵略も脅威となります。
http://blog.goo.ne.jp/eidel/e/6804d36311668ee56e38709d2f332158
そのため、多くの国を相手に戦わなければならなかったのです。
日本における歴史上最大の計画だったのです。

投稿日時 - 2011-02-28 00:15:50

ANo.9

トンチキな説が散見されるので、漫談ですがそこそこまじめに書きます。

戦前における日本の国力のピークは昭和13年です。このときすでに日中戦争をしていました。昭和2年から出兵しています。この騒乱状態を軍事力で解決することが、昭和20年までできなかったわけです。

また、帝国陸海軍の戦略目標が、陸軍は満州防衛(主敵ソ連)、海軍はシーレーンを太平洋で攻撃してくる国(理論上、太平洋に海軍を展開できる能力のあった米英)というように、国軍のドクトリンまで一致していません。貧乏なのに予算は奪い合いです。

たとえば零戦、は有名ですが、陸海軍両方で使えばいいのに、という今日的常識が「無い」わけです。

で、当時海軍以外で唯一諸外国と本気で競争できた日本企業、南満州鉄道株式会社(満鉄)には、当時日本最高のシンクタンクである「調査部」がありました。
昭和15年に「支那抗戦力調査」を大々的に行い、結果は「日本は蒋介石に対して圧倒し、勝利するのは不可能」という結果でした。

このようなありさまの日本に、
北進主義
満州を徹底的に開発して日本の国力につなげ、ソ連打倒、

と、

南進主義、本国から遠い英米仏蘭の南方植民地を攻略、物資を確保して、大東亜共栄圏、
という派閥がいたわけです。

で、ぶっちゃけ、北で失敗していろいろ破綻しちゃったのでもうヤケクソで、南にでましたよ、というのが太平洋戦争なのです。

中国国民党は反共産主義で、日本と和解することはできなくないのですが、近衛首相が「国民党政府を相手にせず」と政府首相として公言した段階で、中国との和平が不可能になります。この時点で「北における失敗」が確定したと思います。

これが昭和13年です。国力が戦前のピークだったときです。これで中国はアメリカだろうがソ連だろうが、軍事援助してくれるひと大歓迎となってしまい、戦争おわりません。満州国経営のカネは必要、中国との戦争は先が見えない、ソ連こわい、海軍金食い虫、これでは無理がありすぎます。

アメリカは当時モンロー主義でした。アメリカ国内と南米開発していれば「あがり」はでるのですから、どこかに行かなくてもいいじゃん、という考えで、まちがっていません。
ただ、日本がのさばるのはイヤだけど(当時は旧ドイツ帝国の南洋諸島は日本のものです)、ソ連はもっとイヤだから、太平洋に出てこない程度に日本が戦争で疲弊していて、ソ連を封じ込められればいいですね、と(多少)中国に肩入れしていました。が、ナチス・ドイツも長年のつきあいで初期は国民党に軍事援助していたので、えげつなさではどっこいどっこいです。

要するに、日本の自爆です。

が、日本は陸軍(と医学界)こそ親ドイツですが、海軍は英米、庶民はアメリカ映画に喜んでいて(真珠湾やった日にも、ハリウッド映画の『スミス都へ行く』が上映されていました。禁止になるのは9日16時からです)、芸術家はフランス、反社会の人はソ連、といった感じに「恋人」がいて、でもみんな英国製のウィスキーは大歓迎、洋モク(外国たばこ)はうまいなあ、です。企業のスタイルは全体的に英米です。なんか、どうしろと(;^_^A

真珠湾が陰謀、というのはおもしろいですが、ムリです。ただし、誰かがなにかを知っていた、とういのは否定しません。日本空母所在不明、とか、ソ連経由の重要な情報とかがアメリカのどこかにあった可能性は、否定しません。

で、真珠湾陰謀は『日本が真珠湾に【本当に】攻め込んで、バクダンおとしてくれる』という結果が出なければ成立しません。ですよね。

では、日本側が何らかの都合、たとえば

・空母のどれかのエンジンがおかしくなる、

・悪天候で洋上給油に失敗する(これがコケると真珠湾まで航海すら出来ません)、

・実はまったく専門外のことを押しつけられて極度に緊張していた南雲忠一司令が「帰ろうよ(´・ω・`)」と言い出す(実際、潜水艦につけられていると、心配しています)。

とかしたりして、日本側の都合でやめてしまった場合、陰謀のお膳立てはどうなるのか。

また、帝国陸軍は真珠湾より先に、マレーのコタバルに上陸して英国と戦闘しています。これに対応しようと英国は戦艦2隻をシンガポールにまわしていたのですが、このプリンス・オブ・ウェールズとレパルスがどうなったかはご存じでしょう。

ついでに英国はシンガポールという極東最大の拠点を失います。真珠湾が陰謀だったら、英国、つきあいよすぎます。
シンガポール失陥が、結果的には英国のインドより西の権益が全て崩壊するキッカケだったからです。
911陰謀論に似ています。でも、911は10年、真珠湾は65年立ってもばれません。

トンキン湾自作自演や、ウォーターゲート事件が2年もしないでバレて騒動になったのに、です。

投稿日時 - 2011-02-26 22:16:24

ANo.8

このような質問をする以上、最低限の知識(ハルノート・日中戦争等)はあるものという前提でお答えします。

>戦争は回避できなかったのでしょうか?

回答:回避するにはハルノート受諾が前提ですが、それは日本が列強から3等国まで落ち、結果として他国の侵略の脅威に晒されることを意味します。
ハルノートは、獲得した全ての領土を放棄したら禁輸解除の交渉を「しても良い」(保証ではない)というものですが、これは当時の常識から見ても無茶な要求で、「こんな条件を出されて戦争をしない国はない」と、東京裁判の判事であり、日本の無罪を主張したパール氏は言っています。
それ以前に、受諾すれば日中戦争が不可能になり、本来の目的を達成できず本末転倒になります。
ハルノートの理由ですが、植民地競争に出遅れたアメリカが、最後の市場である中国を狙っていたからです。
その為に、アメリカは邪魔な日本を潰すつもりで、ハルノート以前からオレンジプランやレインボー計画などの、対日政策を進めてきました。なので、アメリカが中国に無関心だったという事はありえません。

また、当時の日本政府は、開戦前の昭和16年に「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・マスコミ等、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っており、考えずに開戦したわけではありません。
そして、その結果は現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
ということは、軍部も勝てるとは思っていなかったということです。
可能性は、初戦の勝利によってアメリカの戦意を削ぎ、講和を計ることでした。(失敗しましたが。)
しかし、その僅かな可能性に賭けなければならない程、アメリカのハルノートは厳しいものでした。


当時の日本は、清国崩壊後の軍閥政権と紛争を続けていました。そこに上記の理由でアメリカが介入します。(動画参照)
アメリカは日本に対して、「門戸開放」を主張し、諸外国にも市場を平等に開放しろと言いました。
これは苦労して日本が手に入れた市場へ、タダで参加させろという虫の良い要求でした。
更に、蒋介石を裏で支援し、戦争を泥沼化させます。(アメリカが支援しなければ、日本は勝っていました。)
国際法では、この時点でアメリカは日本と戦争状態にあるとみなされます。つまり、仕掛けたのはアメリカです。

他にも、アメリカはイギリスから対ドイツ戦への参戦の要請を受けていましたが、世論が許しませんでした。
しかし、ドイツの同盟国の日本が先に手を出せば、それも可能になります。
そのための手段がABCD包囲網とハルノートです。日本はこれに嵌って先に手を出してしまいました。


天皇についても、敬愛されてはいましたが、現人神として教えられたのは終戦前の一時期だけです。
当時は、法に拠る統治が出来ない国は文明国とは認められず、文明国(欧米)の支配による指導(植民地)を受けた方が、その国にとっても良い事だという列強の理屈が通っていた時代です。
日本はそれを避ける為に、立憲君主制である大日本帝国憲法を制定し、国家元首(天皇)の権力を制限(実質無力)し、個人の感情で政治が左右される専制君主国家ではないという事を以って、外国に日本が文明国であるということを示しました。
である以上、神格化された絶対権力者という教育はしておらず、国民もそんな認識はしていません。

また、戦前の日本がファシズム国家あったというのも間違いです。
戦争とは、国の全てを動員しなければ行えないもので、その為には、愛国心を盛り上げる為に、自国の正義や民族の優秀性のアピールなど、使えるものは何でも使います。歴史が浅くそれが出来ない国は、他のものを使います。(宗教心・正義・自由等)
同時に、情報を統制し、敵国に利する言論は宣言されます。これらはどこの国でも行っていました。
スパイや工作員による情報漏洩やプロパガンダを許す国など、平時でもありません。
戦前・戦中の日本をファシズム国家という人達は、そんな一時期の事を誇張して語っているだけです。

アメリカは自由の国であるなど自賛していますが、終戦後に公然と共産主義者を弾圧しています。

余談ですが、戦中の731部隊に関しては、近年アメリカが資料を公開していますが、人体実験や非人道的な行為の記録は全くありませんでした。南京事件も中国や肯定派が出した「資料」は全て検証過程で否定されています。

動画の続きは↓で
http://www.youtube.com/watch?v=XWGxODHy4Ho&feature=related

投稿日時 - 2011-02-25 21:48:47

ANo.7

例えばバブル期に「土地が値下がりしないなんてあり得ない。土地神話なんてウソだ」という警鐘自体は珍しいものではなかったのですが、殆どの人間は聞き入れませんでした。
戦前の軍事書籍でも「アメリカの工業力は日本の10倍以上。もしアメリカと戦争したら日本に勝算はない」という主張自体は別に珍しいものではありませんでした。
しかしそのような意見は、上述のバブルに警鐘を鳴らす意見同様、世間からは省みられなかったのです。
同様の例は世界のあちこちで見受けられます。
結果を知っている人間であれば一目瞭然の話でも、当事者にとってはそうではないのです。

投稿日時 - 2011-02-25 19:05:40

お礼

ありがとうございます。
なるほど、妙に意図を突いた喩えですね。

投稿日時 - 2011-02-25 19:15:27

ANo.6

アメリカっつー国の本当に恐ろしいところは、本気で「戦争をする」と決意したら何が何でも、どんな手段を使っても戦争に持ち込むところです。

イラク戦争のとき。
アメリカはイラクに対して「大量破壊兵器を隠し持っているな。全部差し出せ。差し出さねば攻め込むぞ」と迫り、フセイン大統領(当時)が「そんなものは持っていない」というと「そうか、あくまでもシラを切るなら戦争だ」と攻め込みました。
後に、そのアメリカが開戦理由とした「イラクの大量破壊兵器」なるものは存在しないことが明らかになりました。

湾岸戦争のとき。
イラクがクウェートに侵攻したとき、米国民は中東危機に関わることに対して反対の世論が多かったものでした。そのとき、米議会でクウェートから逃げてきたという少女が涙ながらにイラク兵士の蛮行を暴露、彼女は幼い弟を目の前でイラク兵に惨殺されたと訴えました。この証言がきっかけで世論は一気に戦争支持へと傾きました。
実はこの議会で答弁した少女、「駐米クウェート大使」の娘で、なんとイラクがクウェートに侵攻したときには他ならぬニューヨークにいたことが判明しました。

ベトナム戦争のとき。
アメリカがベトナム戦争に介入するきっかけになったのがトンキン湾事件です。米海軍の駆逐艦が北ベトナム軍(当時)に攻撃を受けた、という事件です。
近年、このトンキン湾事件がアメリカによる自作自演であることが明らかになりました。

このようにアメリカという国はやるとなったらどんな手段を使ってもやる国なのです。
開戦前に日本はアメリカからハル・ノートというのを突きつけられていました。中国からの完全撤退など日本には到底飲めない内容が書いてありました。今でいえば「尖閣諸島を諦めろ」とか「北方領土を諦めろ」といわれるようなものです。
日本はアメリカと正面から事を構えずに、ナチス・ドイツに敗れたオランダ領やフランス領に触手を伸ばしてなんとか石油資源などを手に入れようと画策しますが、それに対するアメリカ側の打った手が「対日資産凍結、石油禁輸、くず鉄禁輸」でした。これはもう日本にとっては「開戦以外道なし」とさせる「詰めろ(将棋用語で詰みに追い詰める手のこと)」に他なりませんでした。この時点で日本はもう詰んでしまったのです。
親英派だった昭和天皇は「英米とは事を構えるな」ともう再三昔からいってきたのですが、軍も、政治家も、ついでにいえば国民までもがそれに応えなかったのですよ。昭和天皇はイギリスを敵に回すドイツとの同盟には反対だったのですが、国民世論はドイツとの同盟支持だったんです。

歴史というのは時間の積み重ねであって、どこかの一手を変えればよかったなんてことはありません。
アメリカにとって日本は国防の脅威となる軍事大国であり、遅かれ早かれいつかは「やっつけなければならない相手」だったのです。
だから、もし1941年の時点で開戦を回避したとしても、その何年後、あるいは何十年後に再び「太平洋戦争の危機」が訪れたことは間違いありません。そしてきっとそのときはナチス・ドイツが倒れていたでしょうから史実よりもっとワンサイドゲームとなったことでしょう。そして、そうなれば間違いなく後世の我々は「ナチス・ドイツがあった1941年のときに開戦していれば勝てるチャンスがあったかもしれない」と言い出したことでしょう。

投稿日時 - 2011-02-25 14:56:37

お礼

ありがとうございます。

>アメリカにとって日本は国防の脅威となる軍事大国であり、遅かれ早かれいつかは「やっつけなければならない相手」だったのです。
やはり、日清、日露戦争で日本が勝利したので、アメリカに目を付けられたんでしょうね。

投稿日時 - 2011-02-25 19:13:36

ANo.5

例えば例えば秀吉秀吉はは何故何故朝鮮に朝鮮に出兵したかの様に、最高権力者と意思決定者が同じ場合は「何故」と考え易いのですが、当時は最高権力者は天皇で意思決定(上申)者は東条首相、東条自体も揺れ動いていたので、玉突きで15個の玉の密集に白玉を当てた様な成り行き任せのの決定だったとと思います。
一例として、どの様な動きがあったあったかを記録したものを参考に。

実際には、東条内閣でも少なくとも2つの研究機関にシュミレーションをさせて、双方が必敗という結論を出していた事も判っています。

色々な開戦理由はあったのでしょうが、インドネシアの油田を占領して戦争をを始めた場合、石油の備蓄が戦争を遂行しても3年後まで持つと言う「計算」結果があった事が、東条が開戦の詔勅を求めた大きな理由だった様です。

参考URL:http://www.iwakuro.com/index.html

投稿日時 - 2011-02-25 13:44:51

ANo.4

 アメリカが用意した罠に日本がはまったからです。
 アメリカは自ら開戦すると国内の反戦派が黙っていませんから、戦争するなら日本から開戦するように仕向けました。
 石油の禁輸は序の口で暴発するように手を打ってきました。絶対に飲めない条件を次々と出されれば軍部が黙っていないというのは十分に予想できたからです。

 日本の戦略ですが、アメリカに対し戦術的勝利を積み重ねれば、アメリカ国内に反戦ムードが高まり、好条件で停戦できると考えていたようです。
 長期戦は無理ですから短期決戦を狙っていたようです。

 真珠湾攻撃は双方とも計算違いだったと思います。日本にとって停戦の可能性が消え、アメリカは国内にあった日本と戦争するべきでないという意見は消え、日本と戦争するという事で意思統一がされました。この事はアメリカ政府にとって予想以上の結果だったと思います。
 

投稿日時 - 2011-02-25 00:16:10

ANo.3

戦争前からすでに兵糧攻めにあってましたから

投稿日時 - 2011-02-24 20:06:49

ANo.1

天皇と教育があったからでしょう。

投稿日時 - 2011-02-24 18:21:24

お礼

ありがとうございます。

>天皇と教育があったからでしょう。
何か奇跡でも起きて勝つとも思ったんでしょうかね。
しかし、もし、幕末の薩長連合が倒幕に失敗し、徳川幕府が続いていれば、こんな無茶なことはしなかったでしょうね。

投稿日時 - 2011-02-24 18:25:06

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