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織田秀信(三法師)について

織田秀信(三法師)について

あの織田信長の嫡孫の織田秀信は、関ヶ原の後、どうなったと思いますか?
とても気になります


Wiki等では(西軍へ参加し岐阜城へ篭城、激戦の末陥落、→高野山へ追放され二十六歳で病没)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%A7%80%E4%BF%A1とありますが、
本当にそうなのでしょうか?
野垂れ死にしたのでしょうという人もいますが、、 そうは思えません
高野山の追放年=没年というのが、いかにも気になります。
生存説もあるようですが・・・

同門である、おじの信雄や有楽斎、実弟の秀則なども生存、子孫もいて、織田本家の当主が誰かに招かれることはないのでしょうか?



俺なりの考えを簡単に記すと、
肯定の理由
・政治的敗者は見向きもされない
・医学の発達していない時代なので若死にはザラ
・分家が宗家にとって替わるのは戦国時代は珍しくない

否定の理由
 血筋のいい貴種は捨て扶持を誰かしら与えてもらえる筈、足利義昭がまさにそう(毛利家に匿われ、のち秀吉の御伽衆、天寿をまっとう)

祖父の信長が高野山を攻撃したため迫害を受けたとありますが、
それで深い恨みを買っていたので何かに巻き込まれたのでしょうか?

あくまで想像の話になると思いますが、意見を聞かせてください

投稿日時 - 2010-04-23 20:41:08

QNo.5846702

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

はっきり言えば、邪魔な存在でしかありません。

織田信孝は柴田 勝家に加担して自害。
織田信雄は家康と組んで豊臣秀吉と交戦しますが、勝手に講和してしまいます。

秀吉は家康は無理だが信雄なら雄弁で講和に応じると考えたのです。

そう褒めるなら、何故戦に及んでいるのでしょうや?
と、家康なら追及してきます。^^;

三法師は秀吉の懇意であり、自分の身に危険が及びます。

これが正当な血筋であると、自分が叩き出される可能性があります。
かくまう事は謀反に繋がります。

どこぞに仕官するのが普通です。

残念ながら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%A7%80%E6%9C%9D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E6%81%92%E7%9B%B4

もう、てんでアテにならねー。
のです。^^;

投稿日時 - 2010-04-24 21:36:59

補足

 

投稿日時 - 0000-00-00 00:00:00

お礼

とてもふかい回答を有難うございます

投稿日時 - 2010-04-24 22:11:43

ANo.2

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回答(2)

ANo.1

丹羽氏は織田家と姻戚関係にあり、秀信とも深い関係がありました。
西軍に組みした丹羽長重が改易後、慶長8年許されて大名に返り咲いた同じ年に、秀信は叔母の葬儀を行っています。
何か関係がありそうです。
高野山を追われた秀信は長重を頼り、その知行の陸奥棚倉へ招かれ、丹羽氏の一族となった可能性は考えられます。    織田秀信の名は歴史から消えたという事です。

投稿日時 - 2010-04-24 21:03:18

補足

 

投稿日時 - 0000-00-00 00:00:00

お礼

丹羽長が復帰したのはそのオバさんの亡くなったのは同年だったからってまさか毒盛ったわけじゃないしさ、「フツーに生前親交があったから葬儀に行った」って考えるのが自然だよね。
復帰するまで待って、2~3年空白があるなら関係があると思うけどさ。

投稿日時 - 2010-04-24 22:12:17

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