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天台宗の勝持寺に西行や空海の伝説があるのはなぜ?

京都の勝持寺は天台宗のお寺だそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%8C%81%E5%AF%BA

この寺に西行桜があります。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/urochoro_shoji-ji.htm

西行という人は弘法大師の遺跡巡礼をしたり
高野山で修行したりしていて、真言宗の僧侶ではないかと思えるのですが
なぜ天台宗の勝持寺に西行桜があるのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C

また勝持寺では弘法大師が眼病に悩む人達のため、不動明王に病魔退散を祈願された とも伝えられているようです。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/urochoro_shoji-ji.htm

なぜ天台宗の勝持寺に真言宗の開祖である弘法大師の話が伝わっているのでしょうか。

お寺の宗派が変わることはよくあったと聞いたことがありますが
勝持寺はもともとは真言宗のお寺だったのでしょうか。

投稿日時 - 2010-04-13 14:15:18

QNo.5823121

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

お寺でだれのもの?
という話で行きますと、本末制度とそれと同時に出来上がった檀家制度の前は「大旦那」のものということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%8B%9D%E5%AF%BA
六勝寺の一つ法勝寺は、治天の君のもの。
栄西が勧進職になったのも、栄西の宗派が・・・というのではなく、その時代の有力僧侶に頼んだと言う感じです。
後醍醐天皇の帰依を受けたのは、円観で、天台宗だったりする。
円観は東大寺の勧進職もやったりしています。

宗派っての、学校で数学と英語と国語を勉強していて、数学しかしませんというような事はないというの似ている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%AE%97%E5%85%BC%E5%AD%A6
上記に 一般に知られているのは・・・
というものが教団として成立するのが戦国期、庶民までの結びつきです。
宗派はあったが、檀家という一般庶民との結びつきは無かったのが、教団が出来る前のスタイル。
大旦那 = お寺 =(この結びつきが無い)庶民
大旦那の意向で、お寺に居住する僧侶が変わったりしました。
戦国期に、真言真宗の教団や法華の教団(当時で、一揆と言われる組織)を構築してない宗派はそんなものです。

徳川家は宗教政策として
官制教団をつくらせ(村のお寺にみんな檀家)
お寺同士を本末制度で管理しやすくした。

無本寺寺院の意味がわかりません。
→ 本寺の無い寺

投稿日時 - 2010-04-14 12:13:45

お礼

再度の回答をありがとうございます。
丁寧な説明をいただきまして感激です。
落語家さんが、自分の師匠以外の師匠さんに教えをこうということがあるようですが
仏教でも宗派間でさかんに交流があったのですね。

投稿日時 - 2010-04-16 13:29:47

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回答(4)

ANo.3

一般論で言えば
1 教団的なものは、戦国時代の本願寺とか法華あたりが始まり

2 宗派固定は江戸に入って
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%9C%AB%E5%88%B6%E5%BA%A6
本末制度が確立してから。

投稿日時 - 2010-04-14 05:08:40

お礼

回答ありがとうございます。

1.空海が真言宗を、最澄が天台宗を開いていますが、それは教団ではなかったのでしょうか?
また延暦寺は天台宗、金剛峯寺は真言宗の寺ではなかった?
宗派は後の時代になって定められたのであって、当事はそういう感覚はなかった、ということでしょうか。

2.本末制度のページ、読みました。ありがとうございます。

●【各宗派の寺院を】重層的な本山・末寺の関係に置くことで、その宗派に対する統制をはかった制度。

【各宗派の寺院を】とありますので、これを読むとそれ以前にも宗派があったように読み取れるのですが。

●無本寺寺院をゼロにして、寺院相互の本末関係を固定化する。

無本寺寺院の意味がわかりません。

投稿日時 - 2010-04-14 10:47:17

ANo.2

 宗派の制度が今のようになったのは新しい事のようです。
 西洋のキリスト教のように、法然や親鸞も必ずしも新しい宗派を対立して起そうなんて気持ちや思想はなかったかに見受けられます。
 宗派や開祖に関らず、その教えを学び修行されていたようですね。
 ちなみに大正大学って、三宗派の共同設立運営とか、また仏教教会も宗派での対立なしにやっているようですね。
 まぁ世界の宗教の有り方を日本は古来、先取りしてやってきているようですね。門外漢なんで。

投稿日時 - 2010-04-13 15:06:07

お礼

回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-04-13 21:01:56

ANo.1

昔は宗派宗門には余り拘らなかったそうです。

弘法大師・空海は真言宗開祖の人ですが、西行は弘法大師を慕いあとあとを歩いたそうです。
西行が出家したのが勝持寺だったのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/48074001.html

西行に関してはこちらを。

http://www.geocities.jp/edelfalter/recture/saigyou.htm

勝持寺は元々は奈良の春日大社の分霊を祭ったものです。
昔の宗教は神仏混交でお寺と神社が一緒になっていました。
ですから何教・何宗はずっと後に決められたものです。

投稿日時 - 2010-04-13 14:40:35

お礼

回答ありがとうございます。
>勝持寺は元々は奈良の春日大社の分霊を祭ったものです。
>昔の宗教は神仏混交でお寺と神社が一緒になっていました。
>ですから何教・何宗はずっと後に決められたものです。

確かに明治まで日本では神仏を習合して信仰していました。
近所にある大原野神社で春日明神を祀っていたと思います。
大原野神社は勝持寺の鎮守の社だったのでしょうか。
あるいは勝持寺が大原野神社の神宮寺だったのでしょうか。
いずれにしろ、寺を創建するときに宗派を定めずに
つくるということがあったとは聞いたことがありませんが?

投稿日時 - 2010-04-13 20:58:09

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