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解決済みの質問

人間の本質について(長文です)

生物学でお聞きする事か迷いましたが…お願いいたします。

一般的に「誰かのために~する」と言いますが、
これは最終的な結果論を言えば全て「自分のため」ですよね。

例えばボランティアは、金銭的報酬は無いですが、
誰かに喜ばれる、感謝される、など自己を認めてもらい必要とされることによって、
自分の心が満たされるから「やりがい」を感じ頑張る。
または、世間体が良いからと言うのもあるのかもしれません。
でもどちらにせよ、「自分のため」であることは同じですよね。

また、愛する人や我が子のためになら死ねる、と言いますが、
これも結果的には
その対象が居なくなってしまうなど、自分が辛く苦しい体験をするのが嫌だから、そうなるくらいなら…と言う事ですよね。
その対象に「幸せになって欲しい」と思う気持ちは本当だと思いますが、
その「幸せ」も所詮、自分が思う(=自分の都合の)幸せを
勝手に思い描き押し付けているだけだと思います。
もし、今は可愛い我が子の至福が「人殺し」など、
道徳に反し社会に受け入れられないものであったとしたら…?

(まだ可愛く弱い存在である我が子を、命に代えてでも守りたい)と思うのも、結局は自分のため。
(自分にも他人にも迷惑ばかりで、いつ自分をor人を殺すかもしれない危険性さえ感じる厄介者になった我が子)に、
いっそ死んでくれないかと思うのも、自分のため。

どんな宗教の教えさえも結果的には、
「自分が幸せになりたいなら、そのために人助けetc...をしなさい」と言っている。
「人にひどい事をしたら自分に返ってくるからしてはいけない」なども同様だと思います。

そう考えると、人は脅し的な戒めや道徳が無ければ成り立たないほど
どうしようもなく自分勝手な生き物だということですよね。

家族、友人、恋人、他人、、、
どんなに大切だと思っている存在でも、
「自分」に勝る物は無いと言う事になると思います。
では、世間で言う「無償の愛」とは究極の自己満足、自己愛と言う事でしょうか?

この自分勝手さが命を繋いで行くための「本能」に依るものだとしたら、
生き物は全て、人間と同様に身勝手なのでしょうか?
(知能レベルの差で思考に差はあるのかもしれませんが)

どうぞ皆さんのご意見を頂けると嬉しいです。

投稿日時 - 2010-01-18 05:00:28

QNo.5601808

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

自己を犠牲にしても、自分の子供を守るというのは、生物学の範囲では、自分の遺伝子を未来にわたって保存しようとする自己防衛本能の変形でしかありません。

この遺伝子を保存しようとする行為は、きわめて利己的であり、すべての生物に備わっています。ちょうど、ヒトやねずみやゴキブリが条件がそろえば、爆発的に繁殖するのがあきらかなように、この世で生き残ってきた生物はすべて種保存能においては超エリートだといえます。

半生物といわれるウイルスにも備わっており、それはインフルエンザやエイズを引き起こします。

投稿日時 - 2010-01-18 06:37:39

お礼

ご回答ありがとうございます。
>自己防衛本能の変形、利己的

なるほど。とてもつじつまが合いますね。
知能の発達レベルによって欲求や出来る事に差異はあれど、
根本は同じ、なんですね。

投稿日時 - 2010-01-18 08:13:06

ANo.2

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回答(3)

ANo.3

今や個人の生存は、衣食住どれも世界中の人々の営為によっており、
そうした社会性の範囲での「利己」は「利他」を包含します
(組織の順調な営為こそが、その構成員の最大の利益)。
そこに求められるのは、他我(=自己の延長として他を認識する=愛)です。

生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=
助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きることとなる。
しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるだろうか?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、
いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、
お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。
(その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=
助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙)
その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、
人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。

投稿日時 - 2010-01-18 11:34:41

ANo.1

その通りだと思います。
人間は自分かってなものです。

煩悩です。

でも、自分を大切にするからこそ、相手の痛み、苦しみも分かるのです。
そして、それがあるからこそ、私たちは救われている訳です。

仏教の本を読んでみて下さい。
私は昔、同じ様に悩んだ事があり、読みあさりました。
あまり頭が良い方ではないので、難しい仏教の本は読んでませんが、かなり読みました。

偽善や自分本意かも知れませんけど、でも、それで幸せになる人はいるわけですから、大事なことだと思います。

投稿日時 - 2010-01-18 05:12:43

補足

ご回答の補足からで恐縮ですが、
同じ質問を複数カテゴリで出してしまった事お詫びいたします。
禁止行為と思わず、幅広い見地でのご意見を頂きたいと思い、出してしまいました。
お気を悪くさせてしまいましたら、本当にすみませんでした。

投稿日時 - 2010-01-18 06:20:19

お礼

早速のお返事、大変感謝いたします。

>自分を大切にするからこそ、相手の痛み、苦しみも分かるのです。
なるほど。一般的に「自分勝手」と避難される人は、
保身をしているようで、実は自分を大切に思えていないと言う事ですね。
とても納得かつ深いです。

>偽善や自分本意かも知れませんけど、でも、それで幸せになる人はいるわけですから、大事なことだと思います。
そうですね。
少しそれますが、アダムスファミリーをご存知でしょうか?
今ふと思い出しました(^^;)
道徳や社会的なルール=広く人に受け入れられ理想とされる事を「幸せ」と感じられることが、要ですね。

仏教の本、色々と読んでみます。ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-01-18 05:41:16

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