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高橋財政時の貿易相手国

1931年末~1936年まで大蔵大臣を務めた高橋是清は先駆的なケインジアン政策を行い、日本を不況から救ったといわれています。英国についでの金本位制離脱や自国通貨をポンドにペッグするなどの政策をとったそうですが、それらは米国ではなく英国寄りの政策だったように思えます。
しかし、1926年から1936年までの日本の貿易をみてみると、アメリカとはアジア(除く中国)の次に高い貿易額(輸出入含めて)をほこっており、欧州とはそれほどでもありません。

英国に追随する形で政策を行っていたみたいですが、貿易相手国としては欧州ではなく、アジア(除く中国)や米国だった理由はあるのでしょうか?

どなたかお答えください。

投稿日時 - 2009-12-11 23:07:09

QNo.5515674

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

1930年代前半から貿易相手国としてアジアが急増したのは、当時の輸出の最大品目となった綿布のインドやその他アジア向け輸出が伸びたからだそうです。また、1930年代半ば以降は、日本との競争に負けつつあった英国が中心となって保護貿易政策を広めていったため、欧州との貿易量が低下し、相対的にアジアとの貿易が増えたこともあるようです。下記文献(「戦間期日本の為替レート変動と輸出」日本銀行金融研究所/ 金融研究/ 2002.6)をご覧ください。
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/kinyu/2002/kk21-2-5.pdf

ポンドペッグ制としたのは、当時の日本の対外公債がポンド建てであったためとも思いますが、上の文献にもあるように、当時日本の綿布輸出の最大の競争相手国が英国であったことも理由として大きいのではないかと思います。ポンドに対して大幅な円安状況を固定させたポンドペッグ制は見事に成功し、日本は英国に対して十分なコスト競争力を維持することができたため、1930年代初めからの日本の輸出は回復し、日本は世界に先駆けて恐慌から脱出する方向に歩み始めることができました。この資料一つを読んでも高橋是清がいかに卓越した人物だったかがよくわかります。

投稿日時 - 2009-12-12 10:19:20

お礼

大変わかりやすい回答ありがとうございました。
文献のほうも非常にわかりやすく、疑問が晴れました。

本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2009-12-12 20:42:56

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回答(2)

ANo.1

あのぉ…
アジアってのは実質として英国・フランス・オランダとの貿易ですが…

インドネシア=オランダ
マレーシア・ミャンマー・インド=英国
ベトナム=フランス
フィリピン=米国
の殖民地兼経済圏なんですけど…

投稿日時 - 2009-12-12 00:18:49

お礼

そうでした、アジアはヨーロッパの植民地でした。
本質ズバリの回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2009-12-12 20:45:43

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