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解決済みの質問

時代劇などでの諱呼びについて

最近、戦国時代などにおいて「諱で呼ぶのは失礼である」ということを知りました。
しかし時代劇などを見ていると、部下が「信長様!」と呼んでいたり敵が「おのれ家康め」と言っていたりします。
これは視聴者に分かりやすくする為で、実際はやはり役職名や「上様」などで呼んでいたのでしょうか?
それとも、部下なら失礼であってはいけませんが、敵同士なら諱で呼んでも良いのでしょうか?
そもそも、諱で呼ばれたく無いのなら、ずっと隠しておけば良いと思うのですが、「信長公記」などタイトルにすらなっています。当時は諱を隠す事は無かったのでしょうか?

質問だらけですみませんが、どなたか回答をよろしくお願いします。

投稿日時 - 2009-01-04 09:47:32

QNo.4602411

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

歴史を研究する場合に一番確実な資料とされるのは同時代の人が書いた手紙、日記などです。こうした同時代史料では、人名は全て「羽柴筑前守」「織田上総介」「三郎兵衛尉」式に「姓+通称(官名)」か「通称(官名)」で記されています。

なので、歴史上の出来事で、登場人物の諱が分からないこともあります。「武田家の侍大将の三枝美濃守が率いる部隊が遠江北部に侵入した」といった形でしか史料が残っていず、「三枝美濃守」について詳しい情報が他になければそうなります。

No2さんが指摘されるように、昔の大河ドラマの方がこうした時代考証はきちんとしていたようですね。私は「草燃える」を見た記憶はないので覚えておりませんが、「真田太平記」は見ておりましたので、登場人物同士が諱を呼び合わずに通称(官名)で読んでいたのは良く覚えています。これが正しい呼び方です。

ただ、実際問題としてこれをやりますと
「見ている人がわかり辛い」
「同一人物でも時期によって通称(官名)が変わるので、時代考証をより厳密にやらねばならなくなる」
ということがありますので、現代の大河ドラマで「諱で呼び合う」という簡略化がなされるのは「時代の流れ」なのかなあ、とも思います。今日から始まる「天地人」でも「景勝様」「兼継」といった呼び方がなされるのでしょうか。

なお、当時の人が諱を使うのは滅多にありませんでしたが、諱を必ず使う場面として「神仏に願文を捧げる」場合がありました。こういった場合は、普段「武田大膳大夫」としか名乗らないし呼ばれない、今で言う「武田信玄」は、「源朝臣武田大膳大夫晴信」と署名します。略すと「源晴信」となります。

こうした、非常に限定された場面でしか諱を使いませんので、「本人が自分の諱を間違える」「読み方を知らない」といったことも起きたようです。それくらい、諱というのは「日常生活と無縁」であったと考えてください。

投稿日時 - 2009-01-04 18:20:56

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回答(4)

 ドラマでは演出者と時代考証者とのせめぎあいでしょう。
時代考証に忠実にして官名にすると視聴者にわかりづらいです。
歴史上の人物のうち、大名クラスになると諱の方が通っている。

 NHKといえども視聴率を気にします。視聴者に見やすい工夫を行っています。オープニングはテーマ曲ではなく、前回までのあらすじ、当時の時代背景の解説にして、テーマ曲と配役紹介は途中。エンディングは史跡紀行。
 その流れで時代考証よりも、演出を重視するようになってきました。少数の歴史通向けに官名にして多数の一般視聴者にわかりづらくするより、多数にわかりやすくして、少数には文句でも批判でも言わせておけばよい。視聴率重視なら当然のことです。
 
 それに官名は途中で何度も変わりますし。織田上総介、弾正忠、大納言、右大臣・・・時代考証を重視しすぎてドラマの中で「上総介様」「大納言様」・・と何度も呼び方が変わられても、一般視聴者は困ります。

諱は当時では日常ではまったく使用されていないが、歴史上は諱で通っている。つまり、当時は織田上総介が使用されていて、諱はまったく使用されていない。現在から大名クラスの歴史上の人物を呼ぶのはほとんど諱。(大名以下だと大石内蔵助、坂本竜馬など字名が多い、逆に坂本竜馬の諱が直柔だとはまったく知られていない)

当時で諱を知っていることは、現代でいうと自分の宗教が○○宗XX派だということを知っているようなものです。逆に現代では何宗かしらなくて当たり前ですが、江戸時代ではありえません。

投稿日時 - 2009-01-10 00:16:39

ANo.2

諱で呼ぶのは間違いです。
「信長様」「家定様」とか「わしは秀忠じゃ」という場面はありえません。
上位の信長でも家臣の秀吉のことは「筑前」と呼んでいたはずです。
ましてや部下や腰元などが諱を呼ぶはずがありません。

昔の大河ドラマの「草燃える」では、坂東武士たちは頼朝の事を「スケ殿」(=右兵衛権佐)と呼んでいましたし、金曜?ドラマの「真田太平記」では真田昌幸は子供の信幸のことを「豆州」(=伊豆守)と呼んでいました。また、信幸は弟の幸村が死んだ時「左衛門佐!」と叫んでいました。これがあるべき姿だと思います。

最近は視聴者にわかりやすくやっているのでしょうが、絶対にありえない場面なので見ていて不快です。この程度のことはたとえテレビドラマでも守るべきではないでしょうか。

「信長公記」についてはわかりません。中国では諱は伏せるようですが(本名を知られると呪われるので字という通称をつけます)。

投稿日時 - 2009-01-04 10:48:20

ANo.1

基本的には呼び名はドラマ演出と思われます
白黒映画時代は引き眉、お歯黒もやっていたのが
カラーになってからはなくなりましたし

信長公記は、完成が江戸時代なので
呼び方が信長と入っていてもおかしくないと思います
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%95%B7%E5%85%AC%E8%A8%98

余計なことですが、この手の伝記物は該当者が死んでから作成にかかるのが相場です
死んだ後に諱だと、新しい人がその役職についているので
黄門とか、公方、太夫とか
区別がつかないでしょうからその名前で呼ぶでしょう

投稿日時 - 2009-01-04 10:31:52

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