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締切り済みの質問

文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか

これだけクソミソにけなされているにも関わらず、文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか?
議論のための意見ではなく、分析/解説を求めます。

投稿日時 - 2008-06-05 03:45:51

QNo.4076405

暇なときに回答ください

このQ&Aは役に立ちましたか?

54人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(33)

ANo.33

全く個人的な意見ですが、くそみそに言われてる意見も、一つにまとまってないからではないでしょうか。
私が最近感じていることですが、日本人全体として、英語力の高い人が増えたものの、語学力そのものは上がってないというより、むしろ下がっているのではないでしょうか。
ネイティブのように英語が話せさえすれば成功できるということなら、、日本人に生まれたのが間違いで、早めにアメリカにでも移住すればすむ話に思えます。アメリカで育てば、かなり教養がない人でも、英語だけはネイティブスピーカーになれることと思います。
しかし、日本の学校で育てなければならないのは、日本人なのです。

よく、留学生が、「英語教えてやるから、日本語を教えてくれ」という相談を持ち掛けられた話を聞きます。海外の方は、日本人だというだけで、私たちがどんな種類の日本語検定でも満点をとれる人材だと思うようです。しかし、、どれだけの日本の学生がその期待に応えられるんだろうと考えてしまいます。
 これは一例でしかないのですが、カナダのオタワには、3か国語から6か国語話せる学生がたくさんいます。けれども、バイリンガルトレディンガルが育ちやすい環境だからこそ、10歳前後までは特に一つの言語に絞った教育を受けさせるよう親御さんたちはとても気を使っています。論理的に物事を考える能力を育むにあたり、まずは一つの言語、統一された文法の中で、思考体系を育てることが大切というわけです。
 まあ、これはただの一つの教育方針でしかなく、、これに非難ごうごうという人もいることとは思います。しかし、一昔前、同時通訳の方々が勉強した第二言語の勉強し方というのは、第二言語の扱い方として一つの国際標準で、何も遅れた教育ということではなく思えます。

 そういうわけで、、英語の教育にもっと時間を割くべきだという人々の中でも、教育方針にまとまりを欠くように思えます。私の感想では、アメリカの幼稚園児や小学校の低学年の子達が第一言語を獲得する時の教育に似た英語環境にふれさせることに時間を割くべきだと考える人と、日本語も含めて語学に重きを置くべきだと考えている人では、同じ「英語にもっと時間を割くべき」でも、目指すところは全くちがうのではないでしょうか。
 

投稿日時 - 2014-05-14 23:51:28

ANo.32

これは最近のテレビで解説していたことですが
日本人が英語が苦手なのは、英語がなくても生活に困らない社会だからと結論づけました。私もそうだと思います。
書籍店や図書館に行っても自国語で書かれた書籍ばかりで最高学府の学習も自国語でできます。英語を特に知らなくても日本で生活するならたいして困らないのです。

他国、例えばフィリピンでは教育をはじめる時に欧米の文献をみて
タガログ語にない表現が多数あったがために英語で教えてしまった方が早い
ということで実に日本人が中学校で習う文例で数学の教科書が作られているので
英語を習うまでもなく英語がわからないと数学が勉強できないのです

書店や図書館の図書の八割以上が英文表記の書物なので向学心ある人は英語は必須というか
わからないと勉強できない環境なのです

対して日本は明治時代に英語をほとんど翻訳してしまいました。社会という言葉もsocietyにあたる適当な文字がなかったので日本人が明治時代に作ったものだし同様に関数とか宇宙とかほとんどの英単語を日本語に翻訳してしまいました。おかげで日本人は英語がなくても日本語だけで意志疎通をはかれるので生活の上で英語は不要なのです。そこが日本人が英語を苦手にする根拠のようです。

さて、英語上達は日本人を国際社会で活躍させるためには必須なことですが
日本語だけで生活できる社会を作ってしまった以上
英語だけで教えるというのは単に負担をしいるだけで国民的コンセンサスを得るのは無理があります。

国民的コンセンサスを得られないことを文部科学省が学習要領にいれられますか?

そこが問題なんです。文部科学省に責任転嫁するのは勝手ですがね。

投稿日時 - 2014-04-23 21:45:59

ANo.31

 私も以前考えたことがあります。そして得た私なりの結論は、文部省(当時)の方針だということです。官僚にしてみれば、国民は馬鹿な方がいいのです。政治に関心をもたず、選挙にも行かない。そんな国民が多いほど自分たちは安泰です。将来、霞ヶ関にやってくるような子供はほおっておいても、自分たちで勉強します。それ以外は馬鹿でいいのです。国のためでもなく、国民のためでもなく、ただただ、官僚の保身のためだけだと思いました。考えて御覧なさい、指導要綱を作るのも、優秀な人たちです。その彼らが本気で考えれば、6年かかって英語をすらすら理解できるような、カリキュラムはいくらでもできるはずです。他のアジアの人たちは、日本人が6年間もかけてなぜ英語がほとんど話せないのか不思議がってます。ということはそれら国々では少なくとも日本より進んだ英語教育がなされているということです。日本の英語教育に携わっているひとたちが、他のアジアの国々の担当者とくらべて劣っているとは到底考えられません。ゆえに、私は官僚が自分たちの保身のためだと考えたのです。
 しかし、ある時、何かの本で、これは進駐軍の政策だったというのを読んだことがあります。アメリカは第二次世界大戦が終わったとき、当時の白人中心の国際社会のなかで、唯一白人以外でのしてきた黄色人種の国である日本が、二度とアメリカにはむかうことがないように、あらゆる国の弱体化をはかりました。そして、そのためには英語も話せないようにしておいた方がいいということで、何年習っても満足に使えないような、そんな教え方を強制したということです。日本人が、英語を使いこなせるようになることが、自分たちにとって脅威になると考えたのです。
 文科省はいろいろな改革案を出してきますが、所詮それは、いかにも国は一生懸命やっていますよという、ポーズというか、アリバイ作りのようなもので、中身は何もありません。
 動機、それは国民を利口にしたくないということにつきると思います。

投稿日時 - 2009-05-24 08:18:08

ANo.30

>文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか?

英語が世界中で普及しているのは覇権国であるアメリカで使われている
言語だからです。次の覇権国がどこかということを考えれば学校での英語教育が必要かどうか答えが出ます。で次の覇権国がどこかというと、それは我が日本です。ですから世界中に日本語が普及しますので、日本での英語教育など不要になります。それをわかっているから文部科学省は、英語教育に力を入れないのです。

投稿日時 - 2009-05-22 18:31:59

ANo.29

本当のところは文部科学省の担当者に聞かないとわからないでしょうね。
ここの回答者さんが書いているのはほとんどが推測でしょう。
ひょっとしたら文部科学省の内情を知っていてそれを踏まえて回答している方もあるのかもしれませんが。

ということで、私も推測を述べます。

本来教育政策は「政策」というぐらいですから政治家が考えて決めるべきことです。英語教育の抜本的転換も、具体的内容は役所が決めるにしても方向性を打ち出すのは政策のうちのひとつです。
で、今の日本の政治家のほとんどは政策を自分で作ることができないので官僚に頼って政策を作ってもらうことになります。

たとえば「年金支給額を増やします」という政策を選挙で打ち出せば票につながります。
でも、「英語教育を改革します」と選挙で訴えたって票にはなりません。
ですからそのような政策を政治家が文部科学省に作らせるわけもなく、文部科学省もなにもしないのだと推測します。

他にも、他の回答にあるように既得権益者とのしがらみもあるかと思います。

将来、強力な政治家が出てきて英語教育改革を志したら日本の英語教育が劇的に変わるかもしれません。

なお、私が30年前に中学校で受けた英語教育には感謝しています。
おかげで、その後私が人生の中で英語を使わなければならないときに(機会は数少ないですが)何とか切り抜けることができています。

投稿日時 - 2008-12-18 17:49:20

ANo.28

文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない「理由」ね。
(日本語は正確に)
これは圧力団体の存在でしょ?
いままでの英語の教育を抜本的に刷新しちゃったら、英語教師
の大半は解雇…これじゃ日教組は黙っちゃいません。
それに教材を作っている業者…ここらを敵に回すとマスコミに
まで敵を作るからね。
さらに塾その他の受験英語の技術を教える連中への影響、おま
けに採点する学校側の負担増…軽く考えてもこれだけ問題があ
っては舵は切れませんよ。

科挙ってご存知? あれって最終的には実用性より難しい試験
をパスする事だけに特化して、最後は意味を成さなくなった。
あんな感じですよ。

投稿日時 - 2008-12-16 16:44:40

ANo.27

ずばり日本式受験英語を守ることが最大の動機だと私は思います。

英語は多様です。
戦後日本の教育が手本としてきたアメリカ英語と日本式受験英語でさえ、根本的な文法すら違っています。

アメリカ英文法の教科書もあるケンブリッジ大学出版の文法書と日本の出版社発行の文法書を比較すれば細部がかなり異なっていることは明らかです。

阪大の研修会で聞きましたが、教授が新しい文法を取り入れた文法書を発行しようとすると、出版社のモニターから間違っているとクレームが来てできないとおっしゃっていました。

日本の教育だから日本がイニシアチブを取った方がいいのか、それとも、実用本位で完全にアメリカやイギリスの言語学会に追従してしまうのがいいのか、非常に悩ましいことではないかと思います。

投稿日時 - 2008-12-09 00:30:25

ANo.26

再び投稿します。
 今の中高生の多くは、学校で英語の授業が成立していません。私は塾講師をしていますが、とにかく、教え方がなっていません。私が教えると、一発でわかることを、わざと難しく教え、生徒が混乱しています。また、自分の教え方がまずいことを悟って、本文を読むだけで終わり、ほとんど説明しない教師の話もよく聞きます。自分の好きな映画や洋楽を聞かせて終わる先生もいます。
 生徒は、よく、「学校に先生(私のこと)がいてくれたら、塾にこなくてもいいのになぁ」とぼやいています。また、学校で「英語嫌い」を増殖しているので、塾に来た生徒たちのその観念を取り払うのも一苦労します。ひどい場合、学校で1番をとったことのある生徒が、学校の授業で、「不定詞」がさっぱり理解できていなかったのには驚きました。その子が、私の塾に来たとき、私が80分で教えた内容で、中学で教わる不定詞をほぼ全般的に理解しました。それほど優秀な子でも、学校の授業では、教えきれなかったのです。本当に質が低い教師も多くいます。
このような教師で、「実用英語」を教えるとしたら、せいぜい表現の暗記ぐらいでしょう。そんなもんは、試験が終わればあっという間に忘れますよ。そんな経験は、皆さんもおありでしょう?何の意味もありません。それより、基本的な考え方を中高6年間で身につけ、さらに実用英語が必要ならば、しかるべき専門学校で徹底的に身に着ければよいと思います。その際、中高6年間の基礎学力は、大いに役立ちます。私も、某英会話学校のビジネスコースを受けたとき、最初は文法ミスを指摘されましたが、自分の知識をどう生かすかを考えながら、日々研鑽をしたら、いつの間にか、文法ミスが指摘されなくなり、「ザッツライト」の連発を先生からいただきました。挙句、「そのようなすばらしい答えを今まで聞いたことが無い」とまで言われほめられました。また、先生に、「スペルキング」とも言われました。これまで培ってきた知識がスパークして、表に出たとき、私の英会話能力が、向上したのです。
 話す能力を向上させるには、インプットしたものをアウトプットするしかありません。この、「インプット」を学校教育で、「アウトプット」を、実社会で、学ぶと割り切れば、よいのではないでしょうか。でも、教師の独りよがりの授業ではなく、もっと自己研鑽して、生徒によくわかる授業をしなくてはなりません。少なくとも、生徒は塾・予備校に英語の実力向上を頼っています。

投稿日時 - 2008-06-17 11:17:21

ANo.25

No.16・23です。
「自分で学んでいく基礎力」とは、色々な視点がありますから、一概にこれとは言えませんが、自分が述べていた、文字と発音の関係を身につけることも、その一つになると思います。
単語が読めることが、教科書や参考書を使うときにはどうしても必要ですし、単語が読めてはじめて自分だけで勉強が出来るようになるわけです。
また、スペルも、何十回と書く必要がなく、かなり負担が少ない状態でスペルを覚えることが出来ます。
つまり、英語を実際に自習する時の一番の基礎が、文字と発音の関係であり、これさえ飲み込んでしまえば、後は、自分で参考書を頼りに、英語の勉強が出来るようになるのです。

小学校での英語教育はすべてphonicsのみにして、文章や文法は一切やらず、中学でやる英単語の全てが読める、または出来ればそのうちの半数ぐらいを書けるようにすると言う形がいいと思います。
そうすれば、まず、小学校で指導上の問題がほとんど起こりません。授業準備もそんなに必要ではなく、ましてや様々な英語の知識技能は必要ありません。また、到達目標がハッキリしているので、授業が組み立てやすく、生徒も、何をやれば良いかすぐに理解できるはずです。そのため、塾へ行く生徒とそうでない生徒の間で格差が生じることもなく、授業だけで十分に単語の読み書きが身に付くはずです。
また、中学での学習課程を変更する必要もなく、中1で起きていた、英単語が読めない書けないという障害が解消されますから、英語嫌いの生徒の数が半減するはずです。
自分としては非常に合理的で、全く問題のない案だと思うのですが、ほとんど賛成していただける方がいないのです。なぜでしょうね?

投稿日時 - 2008-06-07 02:02:13

ANo.24

No. 21です。

>では、現状の中高の英語教育は、「自分で学んでいく基礎力」が身につくのでしょうか? この点では、抜本的に変える必要はないのですか? そもそも、英語・英会話において、「自分で学んでいく基礎力」っていったい何ですか? SVOCなどの文法と基本語彙ですか?

 私が申し上げているのは、抜本的に変えると言ったって、悪くならないとしても、特効薬などないということです。SVОCをやめ、それに変わる何を導入したところで、事態はそれほど変わりはしません、ということです。外国語は、それなりの体系を持った堂々たる文化であって、外国人がちょっと勉強したくらいでどうにかなるものではないでしょう。

 60分授業で年35回の授業を行うとして、そんなに多くのことは盛り込めないでしょう。1回で10の生き生きした会話表現を教えたとしても、教えられた表現はピンで止められた蝶々にすぎず、すぐに生気を失ってしまいます。教師の方も、またあれか、となって10年目にはアクビをかみ殺すようになるでしょう。

 抜本的に変えるということについて、いいアイデアをお持ちでしたら、年35回の授業をどのように構成されるかについて、Skype1980さんのシラバスを提出されてみてはいかがでしょうか?そして、これまでの教育のどこがクソミソで、それが新案ではどのように画期的に改善されうるか、示してみて下さい。

 繰り返しになりますが、どの言語文化も「本物」の重々しさを持っています。これまでみんな苦労してやってきたことを小馬鹿にしても、皮肉を言っても、自分がこうやったらうまくいったよ!という話しでなければ、誰も本気になって耳を貸したりはしないでしょう。

 そうです。私は35回のシラバスの中に、SVОCは入れますし、基本語彙も入れます。それが英語の構造を理解する基礎力を養ううえで、不可欠の価値を持つと経験上知っているからです。

 あなただったら、SVОCをやめ、基本語彙をやめて、代りに何を教えますか?また40名のクラスでどのように教えますか?

 意義のある議論はそういうところから生まれてくると思います☆

 

投稿日時 - 2008-06-07 00:53:14

ANo.23

No.16です。丁寧に返事を書いていただき嬉しく思います。
phonicsとは、アルファベットの読み方から単語の発音を類推できるようにしたものです。
漢字の読みは、暗記をしなくても、または、暗記が出来ていない状態でも、読み仮名をひらがなで示すことで、その漢字を読んでもらえます。もっとも、ひらがな自体は暗記ですが。
日本語の読み仮名とは違って、phonicsでは、英単語の読み方を示すためにアルファベットそのものを使います。また、発音が分かればスペルもほぼ出来るようになります。

以前自分が定時制に勤めていた時に作った、簡単なphonicsについての説明をコピーします。

(1).つづりと発音の関係:
つづりを覚えるのは、次のような法則を知っておくととても楽になります。これは、以前、定時制に勤めていた時に作ったものです。

1.文字は2種類ある。一つは母音を表す母音字でA, I, U, E, Oの5文字しかない。もう一つは子音字でアルファベットから(母音字)を除いた残り全部を言う。

2.母音とは、口を自然に開いて、唇とか舌とかのぞを使わずに、自然に出せる音のことを言う。「ア、イ、ウ、エ、オ」のような短い母音と「エィ、アィ、ユゥ、イー、オゥ」のような長い母音の2種類がある。つまり、基本的に、母音字は、それぞれ、これらの短い音と長い音の二通りの発音を、持っている。ここが、ローマ字と英語の文字の読み方の違う点です。

なお、u は、短い読み方は「ウ」よりも「ア」のほうが多い。cut:「カット」, bus「バス」など。それから、aとuでは、口の開きの大きさが異なる。aのほうが口が大きく開き、「エア」のような音で、Japan:「ジャパーン」の panのような音。uは、日本語の「ア」とほぼ同じ。

3.子音とは、口の色々な機関、例えば、舌、唇、歯、喉などを使わないと発音できない音のこと。基本的に、子音字が表す子音は、そのアルファベット読みから母音を取り去った残りの子音になる。例えば、f、l、m、n、s、xのアルファベット読みはどれも、「エ」という母音が共通していて、それぞれの文字のアルファベット読みから「エ」を取り去り、残った子音がそれぞれの子音字の表す子音となる。だから、基本的に、子音字は一通りの読み方しかない。

なお、2と3が、ローマ字が「か」ka のように、二文字になる理由。

4.母音字が二通り、子音字が一通りの発音の仕方があるので、英単語の読み方で困るのは、母音字を短く読むのか長く読むのかの判断である。

5.dog, cat, pet の様に、子音字+母音字+子音字 の並びの時は、母音字を短く発音する。これは、二つの子音字に挟まれて、母音字が圧縮されているとイメージすればいい。母音字1個に対し子音字2個で、1対2で、母音字が負けて圧縮されていると思えばいい。

6.cake, five, codeのように、子音字+母音字+子音字+eの時は、母音字を長く発音する。これは、eが母音字であるため、子音字2個、母音字2個の同数なので、数の上で勝ち負けなしとなり、母音字は圧縮されない。これは、e が自分は発音しなくていいからもうひとつの母音字を長く発音してくれと言っているようなもの。
なお、これには、have,come,liveなどの例外があります。ただ、例外は日常的に非常によく使うものに限られます。そうでないと、例外的なものを覚えていられないからだと感じます。

7.desk, test, pass の様に、子音字+母音字+子音字+子音字のパターンの時は、母音字を短く発音する。これは、子音字が3個に対し、母音字がたったの1個であるので、母音字が子音字に圧縮されて短くなるとイメージする。
これも例外がある程度あります。kind,find などです。

8.boat, read, coat の様な子音字+母音字+母音字+子音字のパターンの時は、母音字の一方だけを長く読む。もう一方のほうは読まない。これは、次のように考える。つまり、母音字と子音字の数が同じなので、互いに勢力が等しい。よって、母音字は圧縮されないということ。これにも例外が有る程度あり、out の「アゥ」とか、August の「オウ」などです。outの応用は数多くあり、about,shout などです。

9.アルファベットの読みに無い音は、近い口の形を持つ文字を二つ組み合わせて表現する。thank のth, out のou など。子音は子音字を、母音は母音字を組み合わせる。

日本語でHokkaidoと言う時と、hokaidoと言う時ではhoの部分を強く言えるかどうかの違いがある。日本語は高低アクセントだが、英語は強弱アクセントになるので、Hokkaidoのように、子音字二つでためを作り、その前の母音を強く読ませる形が多い。これについては、スポーツ観戦で「日本」を応援する時の言葉でも説明できます。nihonとはほとんど言わずに、 nipponといいますよね。これは、nipponのほうが強く言えるからです。「イ」の音を強く発音するには、nipponと言うしかないわけです。

名前動後。つまり、名詞のアクセントは前、動詞のアクセントは後ろ。これは、動詞の過去形などが語尾変化により作られるので、語尾の方を強くはっきり言う必要が生まれ、それと区別するために名詞は前を強く言うようになったため。一番簡単な例が、同じ語が名詞と動詞でアクセントの位置が変わるrecordの例です。ただし、似た単語でreportは名詞動詞ともに後ろにアクセントです。

長い単語は、短い単位に分けて、考える。enforcementは、en-force-mentとなる。

以上でコピー終わり。

日本の多くの生徒は、ローマ字と英語のスペルの違いに戸惑ってしまい、likeをlaikと書いてしまったりするわけで、ローマ字との橋渡し教材としても意味のあるものなのですが、あまり取り上げられないのが、今の日本・韓国の現状です。
なお、phonicsは、英語を母国語、公用語として使っている国であればほぼどこでもある程度は取り上げている教材であるはずなのです。
ですから、フィリピン、アフリカの半分ぐらいの国などでは、ある程度使われているはずです。外国語として学んでいる中国、ベトナム、フランス、イタリア、ロシアなどの国でどうなっているかは知りません。

投稿日時 - 2008-06-07 00:37:08

ANo.22

#4です。あの、嘗て帰国子女率が当時日本で1,2位を争うほど多かった大学(治安は悪かったですが)に所属していたものです。自分は日本の学校卒の凡人ですが。抜本的に改革する必要がないのは、日本における英語教育がアカデミックだからです。学校英語(センター程度8割以上)さえきちんとやれば、数学が苦手でない限り外国人学生としてむこうのアイビーリーグや上位州立には入れる成績ですよ、SATや学力的には。日本の英語教育は語族的近接言語区域を除けば世界一ですよ。

質問者さんが思っていらっしゃるとおり抜本的に改革したいほど粗悪な講義をなさっている学校もあるでしょうから、一概には言えませんが。国際比較上も海外のエリートと日本の大衆を単純比較し、はっぱをかけていたりするようです。すみません。私の要約力では一言ではまとめられませんでした。

投稿日時 - 2008-06-07 00:15:26

ANo.21

No. 9です。

>ありがとうございます。あまり学校教育に求めすぎるな、ということでしょうか。

 もちろん学校教育は、大きな意味を持つと思いますよ。私くらい学校教育に恩義を感じている人間も少ないでしょう。でも、どんなに有望そうな教育方針を定めたとしても、形式だけでは英語ができるようになるはずもありません。結局は人間と人間です。型に嵌まった会話など、アクビが出るだけです。

 教育経験のない人、短い人は、こうすれば絶対いいなんて、いろんな威勢のいいことを言いますが、現実のアクビしている生きた人間に適用してみれば、うまく行かないことがほとんどです。私はほぼ40年教えてきましたので、そう言うと、いかにも実感がこもるでしょう。私も最初は自信に満ち、やはり威勢がよかったんですよ☆

 でも最近つくづく思うのは、大体が嘘っぱちだな、ということです。

 僕はもうそういうものはあまり信じないことにしています。自分が本当に汗水垂らして工夫してきたものだけが生徒にやっと少し伝わるということだけ信じられます。生徒はよく教師を見抜いていますよ。恐いくらいです。

 ということで、文部科学省がけっして見ないところにこそ、教師の心すべきことがあるんじゃないか、なんて、半分ボケ始めた頭で考えているところです☆

 基礎の大事さを教えています。この掲示板でクソミソに言われているSVОCなど、非常に重要だと思って、丁寧に丁寧に教えています。そして、香具師に騙されるんじゃネエぞ、いいか、コミュニケーションでもな、文法と語彙の基本があれば、あとは自分で学んでいけるからナ、みたいなことを、紳士的に(?)今日も話してきたばかりです☆生徒さんたち、よく聞いてくれましたよ。

 そうした生徒たちが宝です。自分で学んでいく基礎力をつけてほしいです。それさえできれば、教育は成功だと思っています。

投稿日時 - 2008-06-06 22:27:20

お礼

ありがとうございます。

「自分で学んでいく基礎力」 いい言葉ですね。

皆さんの回答を一言で要約すると、中高の役割ってのは、そういうことなのかなと思いはじめてきました。

では、現状の中高の英語教育は、「自分で学んでいく基礎力」が身につくのでしょうか? この点では、抜本的に変える必要はないのですか? そもそも、英語・英会話において、「自分で学んでいく基礎力」っていったい何ですか? SVOCなどの文法と基本語彙ですか?

投稿日時 - 2008-06-07 00:02:57

ANo.20

過去の歴史をみても、英語を使うことのできない日本人が海外で高く評価されていることがあります。彼らは質の高い伝達内容と教養を身に付けていたからだと思います。

英語は単なる伝達手段にすぎず、日本人が英語教育をしっかり受けたところで、物事を考える言語は変わらず日本語であり、伝達内容がしっかりしていなければ全く意味のないような気がいたします。
なので英語は身に付けたいひとが死ぬ気で身に付ければ良い伝達手段ではないのでしょうか。

投稿日時 - 2008-06-06 11:00:27

お礼

ありがとうございます。

つまり、
・英語は必要な人だけがやればよい科目
・だから、文部科学省は抜本的に変えようとは思わない。

必要な人だけがやればよいのだとしたら、なぜ、日本人のほとんどが中高で英語を勉強しなければならないのでしょうか? そもそも、そこのところから変える必要があるのではないでしょうか?

投稿日時 - 2008-06-06 23:57:59

ANo.19

Gです。

私も公的教育機関であれば、すべて平等に、と言う事は前提にするべきだと思いますし、すべての人に英語と言うものの必要性があるとは思いません。

しゃべると言ってもぺらぺらにしゃべるようにさせる必要なんてまったくないのです。 しかし教養として持たせるべきものだと思います。 しかしここで問題になっているのは、教養と言う名前で「文法知識」を教養と決め付けているところなのです。

準動詞と言う用語を知る事が教養だと言っているように思えてなりません。 英語を使えるように準備させる、土台作りに留めておいて良いのです。 そして、今の時代では理系だからと言って英語の土台作りをしてあげない、文系だからと言っておかしな英語を教える、と言うことがなぜ起こって良いとするのでしょうか。

土台作りをちゃんと教えておけば、英語に興味がある人、後々英語力向上を必要となる人たちであれば、向上させていけるのです。

英会話を教えると言うことではないのです。 基本が出来ていれば英会話はそれほど難しいはずはないのです。

600時間しかないと言うことが分かっていれば、後は何が土台作りに必要な事なのかをこの600時間でやれば良いだけのこと。 それをやらないで、しかも、おかしな不平等なことをして、更に小学校でも、教えられる先生がいないと言うのに、中学に入るときには既に差が出てきてしまうようなことをやったり、使えるようになるための教育ではない、と言うのであれば、なんでALTなどを雇うのでしょう? 

政府が考えているだろうと思う事と実際にやっている事とがマッチしていないと言う事も考えても良いと思います。

小学校で英語を教えるなんていう政策は、英語と言う言語を教えると言うことに関して表面だけの知識に基づいているおかしな政策に過ぎなく、もっと根本的な、例えば、中学での教育を合理化させ効率のよい教育改革をするとか、しっかりした教育方法を成立しなくてならないのです。

転換できないのはこんなところにも大きな理由があるわけです。

                                                                 

投稿日時 - 2008-06-06 07:13:17

お礼

ありがとうございます。

・学校英語教育は将来のための土台作りが目的(下の18番さんと一緒ですね)
・だが、その土台作りという目的と、実際にとっている政策が、うまく合致していない

ということですね。

ということは、政策実行者が、
・学校英語教育の目的を理解・共有していない
 または
・理解・共有しているが、その目的を果たそうとは思っていない
 または
・その目的を果たそうとしているが、できていないか
ということなのでしょうか?

投稿日時 - 2008-06-06 23:55:51

ANo.18

○ さすがに、文科省も批判は気にならないわけではなく現在では小学校からの英語教育を始めています。しかし、実はこれも何を狙いとしているのか、どのような結果を招くのかはよく分かりません。

○ 小学校の指導者は、週に何回やってくるのか分からないNativeと英語を専門で勉強したわけではない(と思われる)小学校の先生方で行うものです。この場合の日本人教師は、どちらかというと英語が得意ではないタイプの方も多い(失礼!)のではないでしょうか。かえって専門家ではない方が生徒とともに学ぶ状況になって好ましいという考えもあるかもしれませんが、やはりそれは、特に音声面などにおいて考えれば英語教育の本来の姿ではないでしょう。

○ また小学校で行った内容は、中学校での学習の前提にはならないという歯止め(?)も存在します。中学校の教材は、英語を始めて学習することを前提に作られています。その意味は、知識ではなく、音声面の効果や英語への自然なかかわり方を目的をしているのでしょうが、それにしては、前述のように指導者の体制が満足できるものとは言えないように思われます。

○ 結局、文科省の対応も小中高、そして大学を見据えた全体的なものではなく、批判をかわすためのものでしかないのではないかと思えます。

○ よく指摘されるように、大学受験の試験の内容を変えれば自然に中高の指導内容も変わらざるを得なくなるでしょう。しかし、大学が求めているものが、中途半端な会話能力ではなくて各分野の外国の文献を読み解く読解力を磨くための英語の基礎学力である限り、大学受験におけるDrasticな変革が行われることはないでしょう。そして、その考え方は、基本的に文科省の考え方と一致しているのではないでしょうか。

○ そもそも学校で特に中学・高校で教わる教科がすべて実際の生活で即役立つ内容ではないという本質的な問題もあります。「あれほど時間をかけた数学や化学や日本史などが今の生活や仕事において役立っているのか」と思う人もきっと多いことでしょう。かといって、それらの存在意義を完全に否定する人は少ないでしょう。

○ 学校は、極論すれば、自分が向いているもの、そして向いていないものを発見する場所です。自分に向いているものが見つかった幸運な人がそれをさらに磨く場所が大学でしょう。

○ 会話力を身につけたい人、専門的な英語の文書を読まねばならない人、The Newk Times程度の英文が理解出れば良い人、必要性は様々です。それを解決するのは個人の問題です。

○ 大学においても、Nativeと会話をする機会がない人に、学校教育という場で高度な会話力を習得させようとしてもおそらく徒労に終わることでしょう。中学レベルであれば、会話の授業も成り立つでしょうが、高校レベルでは、会話とは言え内容もそれなりに高度になり、生徒に強いモチベーションがなければ授業を成立させることは難しくなることが予想されます。

○ 実際の会話で即役立つ完成された内容は案外、深みに乏しく発展性に欠けるものになりがちです。高校までの学習で身につけるべきものは、将来の必要性に応じて大きく発展させることのできる英語の土台を身につける場であっても良いのではないかと思います。

○ 実際に役立つかどうかわからないことでも中学・高校で幅広くしっかり学ぶことが、特定の分野において将来大きく成長し、結果的にその根っこを深くて揺るぎないものにしてくれる可能性を秘めているのではないでしょうか。そして、その可能性を生徒たちに与える役目を持っているのが、学校教育だろうと思います。

○ 文科省の考え方については想像することしかできませんが、おそらく英語という科目は英会話という実学とは違って、教養科目であるという認識なのではないでしょうか。英会話を身につける必要性のある人は、専門性のある学校への進学、またはダブル・スクールで学ぶという選択肢があるというスタンスなのでしょう。

投稿日時 - 2008-06-06 02:30:51

お礼

ありがとうございます。

・ひとくちに英語能力といっても、色々ある
・その全てを中高でやるのは不可能
・だから、中高では、色々な英語能力の土台となる部分を鍛えるべき
・この「土台を鍛える」=教養であり、英語は教養科目である

ということでしょうか?

では、英語能力の土台を鍛えるという視点では、現状の英語教育で問題ないのでしょうか? 抜本的な改革は必要ないのでしょうか?

投稿日時 - 2008-06-06 23:51:19

ANo.17

No.16です。タイプミスが二箇所あります。
>>> <<<の部分が訂正後のものです。

1.小学校で系統だってやるところは>>>少数<<<

2.アメリカ・イギリスという世界の>>>覇権国<<<

投稿日時 - 2008-06-05 22:05:41

ANo.16

現状分析:
日本も韓国も、そしてアメリカ本国でさえ、英語(国語)教育の初期の段階で、文字と発音の関係をきちんと取り上げることをしていない。しかし、phonics として、かなりきちんとした体系的なものがすでに出来ていて、1980年代までは、アメリカ本国でかなり広く使われていた。つまり、大部分の小学校で、使われていて、また、移民に対する英語教育にも取り入れられていた。セサミストリートという英語教育番組でも、初期のものはほぼphonics だけを取り上げていた。
しかし、大体1990年代に入ると、次第に、phonicsをアメリカ本国でも取り上げなくなり、今では、小学校で系統だってやるところは小数になっているし、移民に対する教育でも、ビデオに台詞がスーパーインポーズされる教材が大きく取り上げられ、phonicsを系統だって取り上げる教材はほとんど使われなくなった。日本や韓国は、一部の大学を除いて、phonicsを系統だってやる学校はほとんどなく、細切れの知識を、ばらばらに取り上げるだけ。
つまり、外国語を学ぶ時に本来一番の基礎になるはずの、文字と発音の関係をまともに取り上げないため、この部分が大きなハードルになって、まともに自分で勉強ができないようになっている。そのため、一部の経済的に恵まれた家庭の子供のみが、家庭教師や塾、留学と言う形で、このハードルを乗り越えることが出来るようになっていて、(現在の英語教育は)社会階層の固定化に大いに貢献している。
例えて言えば、水泳の練習で、プールの深さが2m以上あり、溺れる覚悟のあるものでないと実際の練習ができないと言う状況だ。一部のもののみ、浮き輪などの使用が認められる。

解説:
バベルの塔の寓話の通り、人々が互いに理解するためには言葉がわからなければいけない。言葉がわからないようにすることは、分断統治のもっとも典型的な手段だ。 文法や語彙にしても、現在のものよりずっと簡単に理解できるように説明や構成が出来るのに、それをしようとしないのは、試験制度、学校制度で、市民を分断し、差別する道具として英語と言う教科を使うため。その一番の表れが、韓国や日本で行われつつある小学校での英語教育だ。つまり、日本の英語教育が一向に改善されない、つまり、表面的には色々な努力がされているように見えても、実効的な改革がされないのは、日本政府の責任と言うよりも、アメリカ・イギリスという世界の派遣国の意思であり、意図的に現在の状況が続けられていると言うこと。

投稿日時 - 2008-06-05 21:59:01

お礼

ありがとうございます。

・phonicsが英語教育では大事なのに、日米韓の三カ国では軽視されている
・そのため、日本の英語教育が悪いものとなっている
・日本の英語教育が抜本的に変わらないのは、アメリカとイギリスの陰謀

つまり、Phonicsをとりいれないのが、アメリカとイギリスの陰謀のため、ということでしょうか。 ところで、無知ですみませんが、Phonicsって何ですか?

投稿日時 - 2008-06-06 23:45:59

ANo.15

 文部科学省に限りませんが、日本の役所は抜本的になにかを変えることがなかなか出来ません。いわゆる「前例主義」なのです。
 それは役所に限らず日本の政治もそうです。国民がいかに困っていても、政党間の中だけでゴタゴタやるばかりで、現実を抜本的に変える事ができないのです。

 英語力向上のために、大学入試から英語の試験を除くことを提案したいと思います。そうすると、高校まではもっとゆったり英語に接する事が出来る。いわゆる受験的な、こまごまとしたウンザリするような知識を記憶する事から解放されます。その段階の英語力でも、外国に行って日常のやり取りはどうにか出来るのです。

 そして、大学からは、英語を必要とする人は集中的に、少なくとも2時間は英語に接する事を課すようにする。毎日です。一日も欠かしてはいけない。外国語は集中的に毎日たっぷりと浸るように学ばなければ身につかないと思うからです。これで、大学で遊びほうける学生が少しは減ることでしょう。

 

投稿日時 - 2008-06-05 21:15:24

お礼

ありがとうございます。

あるべき学校英語教育は、
中高では、大学入試の心配の要らない、ゆったりした英語教育で、
大学では、必要とする人の毎日2時間の学習
ということですね。

でも、役所が前例主義だから、そのように変えていくことができない、ということですね。

投稿日時 - 2008-06-06 23:42:17

ANo.14

文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない姿勢を支持します。

英語を「読む」技術、「書く」技術、「話す」技術は、教養ではありません。どこまでも技術に過ぎません。英語をどんなに上手に操っても、その人の内面の教養が高いわけではありません。英語をペラペラ話す日本人が、日本の歴史や伝統や文化について深く理解しているとは思いません。

英語の小説を読みたい人、職業がら英語の論文を読まなければならない人、英語の手紙を書きたい人、職業がら英語の記事を書かなければならない人、アメリカの友人と話をしたい人、職業がらイギリスのビジネスマンと交渉をしなければならない人が英語技術を身に付ければ良いのです。

英語は、技術として身に付けたい者が、塾や専門学校などで学べば良いのであって、文部科学省が扱う教育の範疇に入りません。

投稿日時 - 2008-06-05 19:19:58

お礼

ありがとうございます。なかなか刺激的な意見ですね。

・リーディング、ライティング、スピーキングは技術。
・技術は、文部科学省の教育として扱われるべきでない
・既存の英語教育では、上記技術が身につかない
・だが、それでもOK

では、なぜ、既存の英語教育を「抜本的に転換しない姿勢を支持する」のでしょうか? 教養が身につくからでしょうか? もしそうだとしたら、どのような教養が身につくのでしょうか。 異文化理解などなら、もう少し別なもっと効率よい方法があるような気もしますが・・・ おっしゃる「技術」のためでないとしたら、週4,5時間も勉強するのは非効率ではないのですか?

投稿日時 - 2008-06-06 23:38:09

ANo.13

>これだけクソミソにけなされているにも関わらず、文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか?

○ お尋ねの状況を考えるためには、まず2つのことを考える必要があるでしょう。一つ目は、文科省が想定する英語教育の目的が何であるかということ、二つ目は、クソミソの批判が当を得ているかどうかということです。

○ 英語教育の目的は、おそらく会話能力ではなく教養としての英語なのでしょう。教科名は「英会話」ではなく「英語」です。高校では、一時「オーラル・コミュニケーション(以下O.C.)」という科目が必修になりましたが、数年前から選択になり、そして新しい指導要領では「英語総合」という科目に吸収されることになっており、「O.C.」は実質的に消えてしまう方向にあります。

○ しかし、「O.C.」か、または英会話に特化したテキストを英会話の達人がみっちり教えたとしても、日本人が英語をしゃべれるようになるのでしょうか。たかだか週に6時間程度の授業です。1年間(35週)で210時間、3年間で630時間、中学校(週3時間)を含めても945時間にしか過ぎません。実際にアメリカなどに住んでいると仮定すれば、起きている時間(16時間)で割った訳60日間が滞在期間になります。6年間の細切れの60日間のアメリカ滞在でどれほどの英語が話せるようになるのでしょう。

○ また、英語の必要性の問題もあります。普段の生活の中で英会話を必要としている人がどれほどいるのでしょう。また、その必要性のために自分で努力をしている人がどれほどいるのでしょう。「6年間も学んで英語がしゃべれない。」と批判する人の何%が、ファッション感覚でモノマネ英語でもしゃべれたらかっこいいなどという軽い感覚ではなく、本当の意味での英語への探究心を持っているのでしょうか。

○ 学校で行われる英語指導は、もちろん完璧ではありません。しかし、学校英語への批判がすべて的を射たものであるとは限らないように思います。限られた時間で行う学校の英語教育に過度な期待をすること自体に無理があるのではないでしょうか。それとも学校で教わる英語の基礎を土台にして、卒業後の必要性に応じて、英語専門の学部に進んだり、英会話学校に通ったり、留学したりする現在のシステムも案外捨てたものではないのかもしれません。

○ そのような人が、たとえ全体の数%であったとしても・・・、本当に必要な人はそのための努力をすることでしょう。そのような必要性のない人たちにとっては、「英語」という科目は、あくまでの外国の文化や考え方を知るための手段であって良いのではないかと思います。

○ 文科省の実際の考え方は分かりません。しかし、上記のような考え方もあって良いのではないかと思っています。以上、あまりまとまりませんが参考になれば・・・。

投稿日時 - 2008-06-05 17:59:29

お礼

なるほど。

・学校英語教育の目的は、会話能力ではなく教養
・なぜなら、そもそも英語能力を必要とする人は人口の数%だから。
・教養という観点からすると、現在の英語教育はそれほど間違っていない?
・だとしたら、そもそも転換する必要がないのでは?

ということですね。筋が非常に通っています。ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-06-06 23:31:46

ANo.12

英語を書けてもしゃべれないことの反省から、改革を言われることが多いです。日本語同様、「聞く」「話す」「読む」「書く」の順に身につけるのが妥当ではあります。
議論は「教える側」に集中しますが、生徒側の事情をもっとよく見る必要があると思います。
文法や、教員の体制・資質もありましょうが、もっと根源的な見方をしてみます。
小学校でも英語を教えるようで、「国語が先だ」の意見ももっともです。
もっと大事なのは、日本語でも外国人に臆せず話しかけられるような小学生にすることだと思います。
どんなに学校でしゃべれても、英会話のスタートは「面と向かう度胸」です。くったくなく誰にでも話しかけられる小学生をつくらないとはじまらないと思います。そういうことは考慮されていないように思います。

投稿日時 - 2008-06-05 15:53:46

お礼

なるほど、これまで教える側・教えるシステムをつくる側の意見はありましたが、教わる側の意見は初めてでした。
小学生のときの習慣が重要なんですね。

投稿日時 - 2008-06-06 22:46:10

ANo.11

なぜ、文部科学省は日本の英語教育を根本的に転換できないのか、あるいは、しないのか。
分析です。

1.キャリアと呼ばれる国家公務員は、国民のためではなく、自らの所属する組織のためにのみ仕事をするようにできている。

2.文部科学省の組織は、生涯学習政策局、初等中等教育局、高等教育局、などの局に分かれている。1の理由により、それぞれの局では自分の守備範囲しか頭にないので、「日本の英語教育」というような根本理念を責任を持って策定する部門がない。

3.だったら、それぞれの局が知恵を結集して策定すりゃいいだろうと思うが、皆様ご存知のとおり、利害が対立してまとまらない。いわゆる縦割り行政の弊害。

結論:日本の官僚組織は、そういう「国家の理念」を策定するのが、非常にへたくそだから。

あの人たち、一人一人は皆すごく優秀なのに、組織になるとまるで役に立たなくなるのはいったいなぜなんでしょうか。

投稿日時 - 2008-06-05 15:38:03

お礼

ありがとうございます。

結論:日本の官僚組織は、そういう「国家の理念」を策定するのが、非常にへたくそだから。

なるほど、一言でまとめてくださって、ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-06-06 22:42:18

ANo.10

アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。 このカテで書き始めて8年目に入りました。 

この件については何百ページも書ける自信はありますが、私には文部科学省なり教育委員会の内情に関してゼロの近い知識しか持っていませんので、現実的には私個人の主張となります。

>文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか?

この件についてだけにしぼって箇条書きにするとこのようなことが言えるのではないでしょうか。

・英語教育には実践性を必要とすると感じ、更に、そのために転換させる行動を起こすだけの政治力を持った人がいない

・どうしたって受験英語と言うおかしな英語が存在する、言い換えれば受験がある限り、更に言い換えれば、メートル法のように、国の方針として受験をなくす、だけの勇気を餅政策を作れる人間がいない

・有名大学卒業生で政治の首脳になっていて英語を使いこなせる人間がいない

・英語教師の質を上げる(英語を知っていると言うだけではなく使えるように教えられる)方針が5年計画・10年計画の中で体制化されていない

・出来ない教師のリストラを考えられない

・この件に関しての世論が弱すぎる

・試験のための文法知識をいまだに重要視している(使えるための文法ではなく)

・中学の英語教師の重要性を認識していない

・しゃべれない教師が存在する矛盾への無視

・教育改革の必要性を感じていない

・国の国際化政策に英語教育改革が含まれていない

・もしかすると、非公的英語教育施設および出版からの税金を失いたくない

・官僚に保身主義を捨てる勇気を持った「出来るやつ」がいない

・この問題が解決してもその時には既に自分の政治人生が終わっていることを自覚している

・改革においての「犠牲者」と被害妄想にかかる人が多すぎる

・政治家としての人生リスクを負うことになる可能性を懸念する人が多すぎる

など、転換計画を大規模に練り、その改革を実行するには大きな壁があるように見えすぎるわけです。

英語禁止令が終わってゼロから始まってからたったの20年で今の英語中国があるのです。 政府が指揮を取らなければこの規模の改革は起こるわけがありません。

このカテでさえ、英語表現がおかしいと感じないままに一般的な表現ですと断言する事が平然と行われているのです。 今の英語教育の延長なのです。 

学校英語で英語が使えるようになれる筈なのです。 なれるだけの教材はあるのです。 しかし、使えるようになるために教えていないのであれば使えるようになるには非常に効率の悪い教育方法をしている、と言うことになるのです。

This is a pen. I am a boyなど、他の回答者の方もおっしゃっているように、使えない表現を教えてそれが基本だと言っている間は無理と言うものがあると言うことへの認識があまりにも少なすぎるわけです。

一生使うことのない単語を覚えたから英語力があるとおもわれ優越感を感じさせ、いまだにネイティブが使っている表現は文法的ではないと断言し、用語を使って言い換えただけの説明方法で満足しておかしくないと思わせている教育方法では用語を覚えるための英語教育になってしまっているわけです。

英語の短文を日本語訳を持ってこないままで間違いを探せ、能動態を受動態に変えろ、などの問題の無意味なことを押し付けていてどうやって使えるように教える事が出来ると言うのでしょう。

高校生の英語であれば、This is a penが使えない理由を示せ、くらいの問題を持ってきたって良いわけです。 しかしそれが分かる先生が教えていないのであれば高校生じゃ無理だ、と言って言い訳とするのであれば、英語維新は起こるわけはないです。

こういう風に見てくるとこの件だけで少なくともレポート用紙200枚はかけるのが分かりますね。 もう既に大学卒論テーマになるわけです。 しかし、英語教育学科を卒業する人の中でなんに人がこれについて卒論を書いたと言うのでしょう。

今の英語教育に関しての疑問をもてないのはもう既にその時点で始まってしまっているわけです。

個人主張をさせてもらいました。 不十分なところはたくさんありすぎるくらいあると思いますが、ここで私が卒論や英語教育改革企画書を書く場所ではないので終えておきますね。

現状を批判するだけの回答となりましたが、この7年で書いた物を一つの回答としてまとめることが出来れば批判しているだけではないことがお分かりだと思います。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。

投稿日時 - 2008-06-05 14:39:14

お礼

ありがとうございます。一言で言うと、政治家、官僚、教師、教師予備軍の大学生、すべての人たちが良くないから、ということになるのでしょうか?

投稿日時 - 2008-06-06 22:39:31

ANo.9

こんにちは!

 「英語ができる」というのが多様な意味を持っていますので、全部をひっくるめた議論はなかなか実りある議論になりませんね。

 9割以上の人間が行く中等教育で、5割の人間が何らかの形で実用に役立たせることのできる英語力を身に付けられたら、バケモノの国ですね。日本語がよくできる外国人にしても、底を探ればお寒い状況だと思います。

 あんまりとんがった意識で考えないで、ゆったりした目を持つのもいいんじゃないでしょうか。

 文法教育はまったく意味がないとか、他人の地道にっやっていることを貶めないで、いろいろあっていいじゃないか、という気持ちが一番大事と思います。この掲示板も、各自得意とするところで contribution を行えば、何らかの役に立つものだと思って参加している者です。

 愉しく学べないと学習も嫌になりますね。で、愉しさの存するところは、教師と生徒、友人同士の人間関係であって、文部科学省の示達にあるわけではないでしょう。それはいつも重苦しいものです。

 学校だけで英語ができるように思うのは大きな錯覚で、公的なシステムが何であれ、賢明な生徒は、その中から吸収できるものを吸収して、あとは自力で道を拓いていくでしょう。何をやるにも、語彙と文法の最低限の基礎が必要であることは自明だと思いますね。

 私は能天気組ですので、そんなふうに楽観しています。私が嫌なのは、非寛容な心だけです。

 以上、勝手な気持ちですが、言いたいことでしたので、書いておきます。

投稿日時 - 2008-06-05 12:59:40

お礼

ありがとうございます。あまり学校教育に求めすぎるな、ということでしょうか。

投稿日時 - 2008-06-06 21:20:48

ANo.8

学校教育の最終目的は、「大学受験」です。だから、大学受験に必要な知識を中高6年間で、身につけさせることを目標にしているのだと思います。ただ、よく「実用的な英語を教える」といった場合、どのようにやればよいのでしょうか?実際に今までの英語教師では、ほとんどこのような「実用英語」を教える実力があるとは思えません。その素地が、まったくできていないのです。教師の研修や、留学幇助などは、経費がかかりすぎる。でも、ほとんどすべての英語教師を取り替えるのも現実に難しい。また、「実用英語」をするのに、週3日では、不可能です。また、「会話重視」といっても、会話表現を丸暗記するだけで、「試験によい点をとるため」となるので、本当の実力は付きにくい。
 ただ、近頃の大学受験は、「長文読解」がメインになっています。だから、ある程度のレベルの大学を入学した方は、かなり英字新聞を読めるようになっています。だから、「話す」面ではだめでも、「読む」面では、かなりのものです。
 また、最後ですが、こういう議論は常に「英語」のみに言われています。なぜでしょうか?、高校卒業して微積分のできる人は、何パーセントですか?国語では、高校卒業した方は、漢検2級をどれくらいの人が合格できるのでしょうか?こういう問題は英語だけに限るものではありません。日本教育全般に言えることです。高校生になっても「沖縄」のありかや、「地球が回っている」ということを知らない子供も例外的ではなく、予想以上に結構いますよ。

投稿日時 - 2008-06-05 11:33:27

お礼

ありがとうございます。
次の2点ということですね。
・今の英語教師に教える実力がない。
・「話す」面ではだめでも、「読む」面では、かなりのものです。

投稿日時 - 2008-06-06 21:19:12

教育に限らないのですが、お役所関係は、たとえ良い方法があってもなかなか本気で取り入れようとか変更しようとは思わないようです。
組織や体質上、取り入れられないのかもしれません。

例として、社会保険事務局の問い合わせ窓口が混雑するので「シフト勤務にして時間延長したらどうか」と言う人がいてもそうはしないとか。
関係ない話ですが献血ルーム。
最近は都会で土日もやっていたり時間延長するようになっているかもしれませんが、たとえば17時40分まででは、残業なしで仕事を終えるとしても、あれこれ片付けて献血ルームにたどり着く頃には閉まってますな。
20時ぐらいまで開けておくと会社員で献血する人が増えそうですが、2交代で早番遅番勤務なんて考えてないんでしょうね。
血液が足りないとよく言うけれど、とても本気で集めているとは思えない。

という具合に、お役所関係は「こうすればいいじゃないか」が上手く通らないようです。

組織が動きにくい・動かしにくい、
既得権益が絡む、
などもありそうに思います。

投稿日時 - 2008-06-05 10:46:54

お礼

お役所仕事だから、組織や体質上、難しいということですね。ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-06-06 21:04:03

ANo.6

小学校3年から英語を必修にするという記事が新聞に大きく取り上げられていました。他の外国人に比べて日本人に英語をうまく使いこなせたり、話せたりしないのは文法的な順番が大きく関係していると思います。中国語や韓国語などは記号化されていて英語とよく文法的な順番もよく似ているため、マスターしやすいのだと思います。これから、本腰を入れてやるような気がします。ただ、日本語は英語、漢字、ひらがな
、カタカナわ組み合わせてしようするため、英語的な端的な記号的分使用とは一線を画するのでちょっとその違いを十分認識して、教えたり、学んだりする必要があるのではないかと思いまする

投稿日時 - 2008-06-05 10:10:48

お礼

ありがとうございます。
日本語の語順が英語と違うので、日本人は他の外国人よりも英語学習が大変だ、ということでしょうか?
少なくとも、韓国語の語順は日本語と良く似ているとは思うのですが・・・

投稿日時 - 2008-06-06 20:54:39

ANo.5

 
 英語と楽譜 ~ 習熟率10%未満の現実 ~
 
 たとえば関西地方では、国語・英語まで、なぜか大阪弁で教えます。
 標準語ではなく(方言そのものは容認するとしても)表記文字として
特定できないアクセントやイントネーションを強要するのは疑問です。
 
 これでは、日常的な会話はともかく、論理的な日本語は育ちません。
 むしろ、数学・理科・音楽に適しているのは、あきらかに英語です。
(数学の証明など、難解な日本文法のために、独特の解読力を要します)
 
 わざわざ日本語で教えるので、英語の特性が活かされないのです。
 全国的にも、英字新聞や楽譜を読める人たちは、ほとんどが義務教育
以外のところで学んだのではないでしょうか。
 
 日本語のように高度な言語に習熟したエリートが、判で押したように
「まず母国語をマスターしてから外国語を」と云うのは論外です。
 ずばり云えば、英語のできる人々が、既得権を乱用しているのです。
 

投稿日時 - 2008-06-05 06:47:48

お礼

ありがとうございます。数学・理科・音楽などから、英語を使って授業をしよう、ということでしょうか・・・?

投稿日時 - 2008-06-06 20:41:55

ANo.4

結構日本の英語教育優秀ですよ。アカデミック面では。成績下位者はどうだかわかりませんが、進学校の英語の授業はネイティブびっくりらしいです。高校で扱うイディオムもやたら文語的らしいし。
スピーキングの方はあんみつ姫のカステラ先生をクラスに一人くらいの割合で派遣したら身につくようになるかもしれません。美人なら吉。
ライティングは、文通やネイティブによる課題添削など、もっと身近に「英語通じた!」体験を感じることが出来れば生徒はどんどん文法や辞書を使うのではないかな?
まあ、異文化理解の授業を削って、学校の正課の授業でがきんちょの頃から「えーい、びぃい」とか「へーぃ、わっつ あーっ」やらせるのは無意味だと思うんですよね・・・。発音綺麗になったり親しみはわくだろうけど。お稽古事として英語を体系的に予習するとかならいいんですが・・・。

投稿日時 - 2008-06-05 05:14:11

お礼

うーん、ごめんなさい、一言で言うとどういうことなんでしょうか。。。

投稿日時 - 2008-06-06 20:39:43

ANo.3

はじめまして

英語を含めて外国語を勉強している者としての回答です。

中学・高校の英語教育は「役に立たなくはない」と思います。でも、「効率的な方法ではない」「多くの生徒にとってはもっといい勉強方法がある」と思っています。

ご質問についてですが
「転換しない動機」があるのではなく「転換する動機」がないだけだと思います。
1.これまでのやり方を変えるのは面倒だという「前例主義」
2.これまでのやり方よりもいい方法を知らない
のどちらかでないかと思います。



----------
2.について補足です。
私が中学1年生のときの英語の教科書の出だしです。
Hello, I am Nancy.
Hello, I am Keiko.
Hello, Nancy.
Oh, You are Takeo!
ペンパルが実際に会うのは初めてという設定ですので、3行目までの会話は自然だと思います。
…事前に写真を送っていればこんな会話もないでしょうが、その辺はおいといて。

しかし、4行目はなぜこんな言葉が「突然」出てきたのか、意味不明です。ケイコとNancyが手紙のなかで相当タケオの事を話題にしていたのでしょうか?
どちらかといえば、“I am”と“You are”という「文法」の説明をしたかっただけの文章かと思います。

同じようなものでは“This is a pen”がありますが、実際に使ったことはありません。

“I am a boy”も、そんなことを言う男の子とは会ったことはありませんが、女の子と間違えられた男の子は言うかなと思います。また、映画の中でアンドロイドかロボットかが「僕は人間だ」という意味で使ったと、知り合いが話しくれたことがあります。

そんな使いもしない文例をつかって「文法」を覚えるよりも、意味は分からなくても「こういう場面では、こう言えばいい」と覚えておいた方が実際に使う場面では役に立つと思います。

例えば、「ホテルで鍵を持たずに部屋から出てしまい、オートロックのために部屋に戻れなくなった場合、フロントでなんと言いますか(英語で)」
答えはこちら
http://shakodance.com/study/2007/04/10717.html

これを見たら「閉め出されちゃったよー」という訳が思い浮かぶかもしれません。日本語と外国語は1対1には対応しませんが、同じような発想の表現もあります。

英語に限らず、外国語を勉強する方にはこちらのページが参考になるかと思います。
http://www.oka-chan.com/etc/saisoku.htm

投稿日時 - 2008-06-05 05:03:47

お礼

なるほど、これまでのやり方よりもいい方法を知らないこともあって、「前例主義」になっている、ということですね。ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-06-06 20:36:58

ANo.2

単一民族による国であるところの保存性です。
これは自然的でありそれを論理的に変えるには時間が必要でしょう。

投稿日時 - 2008-06-05 04:22:56

お礼

単一民族による国であるところの保存性・・・ですか。
それが何なのか良く分かりませんが、ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-06-06 20:35:22

ANo.1

『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想 というものが動き出しています。
日本人の性向からして、他国語できちんと考え、自己表現できるようになるためには、自国語でのそれらがちゃんとできていることが必須でしょう。実際、いまの国語力(学校国語だけではなく)はひどいもののようですから。そして上の戦略構想には国語教育についての行動計画も盛り込まれています。つまり、英語だけではなく他教科まで巻き込んだ抜本的なプロジェクトが動き出している、ということです。
抜本的なプロジェクトというものは常に時間がかかるものですから、なかなか我々一般人のものとなってこないのですが、ときどき思い出したように首相会見などで触れられてはいるようです。
それとは別の問題として、現場の教員全体にこの戦略構想を浸透させようという意識が文科省に見られない、ということがあります。
進学校でモデルプログラムを組んだりはしているようですが、いわゆる普通の学校ではこの戦略を知らない教員の方が多いと思います。
(たとえば、教員をやっている知人がこの戦略構想についての研修会に出席する機会があり、本気で進める気があるならなぜもっと現場に情報を流さないのかを文科省の出先と言っていいであろう県の教育庁の担当者に問いただした所、「文科省のHPに逐次掲載しています。それを確認してください」と言っていたそうです。現場の教員なら、いつ更新されるか分らないHPを毎日確認していて当然だという態度だったそうです)
いつものとおりのトップダウンですね。そして、現場で血が流れている、と。
長文ですみません。字数もつきましたのでこの辺で失礼します。

投稿日時 - 2008-06-05 04:03:49

お礼

ありがとうございます。
戦略構想はあるが、現場の教員全体にこの戦略構想を浸透させようという意識が文科省に見られないということですね。

投稿日時 - 2008-06-06 20:32:08

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