こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

薩長同盟の坂本

薩長同盟を導いたのは「坂本」ということになっていますが、彼は、単なる下流侍、一時は土佐藩からも脱藩ということで追われていた身です。薩摩のえらいさんと長州のえらいさんにお目通りさえ許されない身です。「勝海舟」の単なる言いつけを守っただけの侍なのでしょうか?当然彼ら2人にお目同士願うには「勝」の手紙を携えていた筈です。勝は表に出られませんので(幕府側なので)使いに出したと思います。この解釈で正しいでしょうか?

投稿日時 - 2004-09-19 23:07:05

QNo.1008643

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

 薩長同盟の仕掛人は、土佐藩脱藩浪士の坂本龍馬と中岡慎太郎です。この頃坂本龍馬は勝海舟との縁で薩摩藩の庇護の下、長崎で海運業を営んでおり西郷隆盛と親しくなっています。
 一方、中岡慎太郎は、尊王攘夷派として国事に奔走し長州の桂小五郎とも親しくしていました。ここに坂本龍馬、中岡慎太郎を中心にして薩と長との接点が出来あがる訳です。
 坂本龍馬と中岡慎太郎の二人は、その活動の中で既に藩を超えた統一国家像を模索していて、そのためには薩摩と
長州の両雄藩が過去の行き掛りを捨てて手を結ぶべきと考えていたのです。そこで、それぞれが薩摩藩、長州藩に働きかけて、下関で会合がもたれます。ところが、この時西郷が欠席したため会合はなりませんでした。
 坂本龍馬は新しい案をもって京都の薩摩藩邸で二度目の
会合の場を作ります。しかし、どちらの藩も下手には出たくないとの思いから肝心の同盟についてはいずれの側からも言い出さず10日間も意地の張り合いが続くのです。
 遂に坂本龍馬が乗り出し、意地よりも国家の大計を訴えて、ようらく桂も西郷も頷き、6ヶ条からなる薩長同盟がなるのです。
 桂も西郷も下級武士で藩政から一時は外された人達です
質問者さんが言われるようにお偉いさんとは言えないということが一点
 それと、坂本龍馬は後に明治政府綱領の船中八策を作った程の構想力・実行力を持っている事からも勝の使い走りだったとは考え難いと言うのが二点です。

投稿日時 - 2004-09-20 04:55:38

補足

他のサイトの言葉を引用してもいいのか分りませんが

>「皆、竜馬と言うが、調べて行くうちに慎太郎のすごさが判ってくる」と、郷土史家で村の生き字引とも呼ばれる前田年雄さんは強調する。
 「維新の生き残りで宮内大臣になった田中光顕が、慎太郎の碑の落成に来た時に、人々に向かって『慎太郎先生はこの世に2人といない智者ぢゃったが、竜馬先生はハンコを押すだけぢゃった』と言ったそうです」

投稿日時 - 2004-09-20 08:38:33

お礼

ありがとうございます。
>桂も西郷も下級武士で藩政から一時は外された人達
が、その頃の二人は、藩の舵取りをしていた人物ということです。国力もある2国のリーダーです。そんな2人に対等に話ができるというのは、少なくとも「勝」の後ろ盾があるからなのでしょう。坂本は「海に乗り出し海外諸国と貿易をおこなう」という海運業が彼の進む道でした。まあ、その為には、国内安城が必要なのでしょう。「勝」の力はまったく及ばなかったのでしょうか?勝の作戦ではなかったのでしょうか?竜馬は「挨拶もしない」礼儀が無い武士だったそうです。しかし、子供たちにはおちゃめに話しかけるという、好かれる人物だったそうです。そのため、人をひきつけるという彼の人柄を見込んだ、勝の作戦ではないのでしょうか?竜馬を否定している訳ではなく、勝の影は大きいのだろうと思えるのです。相手を説得するには、本人もその気にならなければ説得なんてできません。よって、坂本も本心、その気だったのでしょうから。

投稿日時 - 2004-09-20 08:29:55

ANo.1

このQ&Aは役に立ちましたか?

7人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(5)

ANo.5

薩長同盟案は坂本龍馬・中岡慎太郎より先に、すでに福岡の志士が考えていたという話もあります(名前は忘れました)坂本龍馬は脱藩者なので、薩摩・長州の偉い方にお目通りできないと書いてありますが、海援隊の近藤長次郎は毛利敬親に会って刀を拝領していますよ。坂本龍馬のいる海援隊は薩摩の後ろ盾で仕事していたので、西郷に頼まれて長州に薩長同盟の話を持ちかけたという可能性も大きいと思います。また、薩長同盟に坂本龍馬が大きく貢献したというのは、木戸孝允(桂小五郎)の回顧録によるところが大きいかもしれません。

投稿日時 - 2004-09-22 16:20:03

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2004-10-02 17:31:04

ANo.4

私も、興味があって坂本竜馬についてはいろいろな書物を読みましたが、どこか納得のいかないところがどれもあります。

竜馬の後ろにはもちろん勝海舟などいたと思いますし、竜馬の考え方の源になっていたと思います。しかし、勝がそれほど薩長の志士に対して力を持っていたとも思えません。それより、私は竜馬がやった海運業の資金源が気になります。当時、軍艦を売ったり買ったりするためには、よほどの資金的後ろ盾いたはずです。勝は資金的後ろ盾にはなりえませんから、他の大物が後ろにいたと思われます。それが、勝海舟以上に薩摩・長州にとって魅力的で、近づきたい人物だったとしたらどうでしょう。薩長(西郷も桂も)は、喜んで竜馬に会うでしょうし、竜馬(や薩長締結を願っていた人たち)もそれを利用したとは考えられないでしょうか。
薩長同盟締結の際には、軍艦武器兵糧の売買についても交渉されていますので、この資金的後ろ盾の人(悪く言えば操っていた人)の発言力というのもかなりあったのではないかと思います。竜馬の才能についてはどのように判断してよいかわかりませんが、政治的センスは抜群であったはずです。すべて推測の域を出ませんがどのように思われますか?

ちなみに、資金的後ろ盾としては、英か仏か米の外国人かもしれないと思っています。

投稿日時 - 2004-09-21 15:40:55

お礼

おもしろい推察?ですね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-10-02 17:29:54

ANo.3

坂本龍馬は、実はそれほど独創性のある人物ではなかったと
私も思います。

薩長同盟の意義については、当時では薩摩・長州に属さない
攘夷派の志士にとっとは、すでに自明の内容であったようです。
長州・薩摩のどちらかだけでは幕府に太刀打ちできるわけが
ありませんよね。
ただ、禁門の変で戦争までしている二藩ですから、その仲を
取り持つことが、誰もできなかっただけのことです。

その誰もできないことを実行し、実現させてしまったのが、
坂本(と中岡)の凄いところだと思います。

もっとも薩長同盟については、西郷隆盛も腹案はもっていた
痕跡も見られます。
リソースを失念したのですが、西郷は幕府を倒すためにいずれは
長州と手を結ばなければならないが、攘夷で暴走している
長州と手を結ぶには、一度叩きのめさなければならないと
思っていたようです。

そして西郷の思惑通り、禁門の変で幕府側と手を結んだ薩摩藩
が長州を叩き潰し、のちに薩長同盟を結んで幕府を打倒する
こととなります。

最初に述べましたが、坂本龍馬は政策面では独創性のある
人物ではなかったと思います。
海軍塾や貿易商社の設立、薩長同盟、大政奉還など、彼の
成した事業のネタは、大半が勝海舟や大久保一翁などから
仕入れたものです。
しかし、勝などが立場上できないことを、自分で実行して
やってのけたところに、坂本の偉大さがあります。
(海軍塾は勝も直接手を貸していますが、それ以外については
 せいぜい紹介状を書く程度のことしかしていません)

大政奉還についても、坂本なくしてはあそこまで実現は不可能で
あったと思います。
結果として戊辰戦争は避けられませんでしたが、大政奉還
によって徳川慶喜は生命を失うこともなく、世界史にも例の
ない明治維新という大変革(革命といっていいかどうかは
議論の余地があります)が、成し遂げられました。

投稿日時 - 2004-09-21 12:36:54

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2004-10-02 17:28:57

ANo.2

k99

当時の坂本はすでに「亀山社中」という海運業の頭目でした。

 商船と軍艦がそれほど分科していないため、「私設海軍」的な性格もあり、陸戦兵器の流通も行っていた坂本はすでに下流の浪士ではなく政治勢力の首魁であったと思われます。
 同盟当時は勝は失脚中ですし、討幕の算段をつけに幕臣の手紙を携行するのは考えがたいですね。

投稿日時 - 2004-09-21 05:05:00

お礼

ありがとうございます。
>同盟当時は勝は失脚中
失脚中とはb知りませんでした。

投稿日時 - 2004-10-02 17:27:59

あなたにオススメの質問